・ 義務劣人

 

 仕事帰り、行きつけのいつものバーのカウンターでいつものヤツを一杯やりながら、スフェリシティの住民に課せられた三大義務をまるで果たしていない自分自身の不甲斐なさを噛み締めタダシさんは顔を歪めていた。親が敷いてくれたレールの上をひたすら無難に歩き無難な会社に無難に就職したタダシさんは、決められたルールを守り目立たずはみ出さず言われた通りの仕事をこなしてきた。目に見える事柄だけを真摯に受け止め目に見える成果を出すことだけを自分に命じ、目に見えないうわついた幻には近づくことさえせずに生きてきた。それが元々本来の性格だからそうしているのが一番落ち着く。落ち着くけれど、ストレスは溜まる。仕事帰りの一杯が二杯三杯になり果ては飲み過ぎ、泥酔、他人様に迷惑を掛けてしまうこともある。

 スフェリシティの三大義務

 〔創造の義務〕 〔想像の義務〕 〔SO-SOの義務〕

 どこかの国の三大義務よりよっぽど気が利いた素敵な義務なのに、自分はまったく果たせていない。落ち込むタダシさんに、隣に座ったタロが語りかける。タダシさんの生き方は充分立派。やろうと思ってもなかなかできることじゃない。そもそも誰も気にかけ思い出すことのないシティの三大義務を覚えていることが、それを果たしていない自分を責めてこうしてがっくり落ち込んでいることが、その生真面目さが、タダシさんのかけがえのない魅力だよ。

 一杯が二杯、二杯が三杯。SO-SOじゃなくっていいからさ、今夜も気持ちよく飲み過ぎてよ、タダシさん。

 

 

                        ・ 正論Tea

 

 ハナさんはテレビでニュースショーや討論番組を観るたび、コメンテーターたちの前に置かれている飲み物のことが気になってしょうがない。中身は一体何なのだろう。普通に考えればお茶の類い。時々半透明の容器から透けて見える色から推測してもそんな所だろう。お茶だとしたら、それはどんな種類のお茶だろう。この人の顔つきはこんなだからきっとこんなタイプのお茶だろう。この人の語り口はこんなだからこんなタイプのお茶が好みだろう。そんなことばかり考えているうちにニュースもコメントも見逃し聞き逃し気づけば番組は終わってしまっている。

 マッチングアプリで結ばれた彼がテレビ局のディレクターだったのは偶然ではない。お茶のことが気になって気になってしょうがないハナさんが望んで彼を選んだのだ。彼は、絶対誰にもどこにも漏らさない約束でその極秘案件について教えてくれた。コメンテーターたちが飲んでいるのは、「正論Tea」という種類のお茶なのだ。麻薬成分が入っている。法律ギリギリ。正論には元々麻薬の成分がふんだんに散りばめられているけれど、スタジオの煌々としたライトに照らされてこのお茶を飲み全国の視聴者に向け語りだすと正論が止まらない。このお茶の麻薬と正論の麻薬の相乗効果でキメキメフワフワ、他のどんなことでも味わえない独特の快感に全身が沸き立ち正論以外は語れなくなる。ハナさんはなるほど、納得した。人前で堂々と正論を語る人たち全員が揃いも揃って同じ目をしているのはこのお茶の効果だったのだ。

 一口に「正論Tea」と言ってもいろんな種類があるらしい。活発に意見を繰り出す「アクティビTea」、難しい議論を吹っ掛ける「ディフィカルTea」、人間性を重視する「ヒューマニTea」、性的特質にこだわる「セクシャリTea」、奪われた議論の主導権を回り道してでも取り戻す「復権省の迂論Tea」、大声だけが取り柄の「お~い おTea」、冷たく甘い言葉の「サーTeaワン」、自分らしく振舞う「アイデンTeaTea」、ちっちゃいことは気にしない「ゆっTea」、何があっても最後はクシャミ一つで笑いに変えて持っていく「加藤Tea」、論理の形式を重視する「フォーマリTea」、事実と現実に根差した「アクチュアリTea」、未来の可能性に懸ける「ポシビリTea」、尊敬されたがりの「リスペクタビリTea」、客観的な視点の「オブジェクティビTea」、責任感が強い「リスポンシビリTea」、優先事項から始める「プライオリTea」、永遠に議論を続けたい「インフィニTea」・・・。

 「英語の形容詞に ~ty を付けた名詞は挙げ出したらキリがないほどたくさんあるのだから、くだらないダジャレはこのくらいにして、そろそろ次のお話に進んだらどうですか?」 

 ハナさんにそう言われてタロはピンと来た。ハナさん、「正論Tea」、飲んだでしょ?

 

 

                         ・ 前世全然

 

 無洗米を丁寧に何度も何度も洗っている自分に気づいたミキさん。以前から気になっていた自分の性分を改めて思い起こしてみた。水回りにいる時間が異様に長い。食材、食器、洗濯物。とにかく洗うのに時間が掛かる。一度でいいのに何度も何度も。夫のヒロキさんは優しいからそれを咎めたりなどしないけれど、野菜・果物のビタミンCは抜けちゃうし洗剤もたくさん使ってしまう。水道代だって馬鹿にならない。直したいけれど、なぜか直らない。そんな話をポロっと聞かせた友人がそのまた友人のその手の能力がある人に勝手に相談をしてくれた。その人が言うには、ミキさんの前世はアライグマなのだと。身の周りの物を念入りに洗うことからは一生逃れられない。もう諦めて、そういう自分を受け入れた方がいい。アライグマ?まんまじゃんかW。

 ヒロキさんの様子がおかしくなってきたのは悲しいけれど明らかだった。女がいる。間違いなく。これからどうなっていくにせよ、まずは相手の素性を洗い出さなければ。二人の関係を洗い出さなければ。洗うのは得意。なにせ前世がアライグマなのだから。ところがどうにも洗い出せない。知るのが怖い。分かるのが辛い。洗おう洗おうと思いながら何もできずに時だけが過ぎていく。どこがアライグマだ。何一つ洗い出せやしないじゃないか。

 ゴシゴシゴシゴシ、もう何時間もお風呂場を洗い続けている。やっぱり私の前世はアライグマ。当たってたんだ。まんまだったんだ。ヒロキさんの解体で飛び散った大量の血をきれいに洗いながら、ミキさんはなんだかスッキリした様子。心の曇りまで洗い流せた様子。タロは思う。ミキさんはこれからK察に洗われる側になるけれど、次に生まれ変わったら何になるのかな。アライグマに何度も洗われる無洗米にでも生まれ変わるのかな。