・ エコバッグ

 

 スフェリシティで一番の無精者、ものぐさ女王カナコさん。買い物のたびにエコバッグを持ち歩くのが面倒で面倒でたまらない。レジ袋を買うのももったいない。どうしたものか。よーく考えるー ・・・。そうだ、閃いた。袋を体に付けちゃえばいいじゃん。

 カナコさん、レジ袋を何十万枚も買えるお金を出して手術した。自分のお腹に、肌色の大きな袋をくっ付けた。初めのうちはお店でお腹を出すのが恥ずかしかったりもしたけれど、そんなことはすぐにどうでもよくなった。お腹の袋があまりに便利だったから。

 お腹の皮と一体型だから、少しの買い物ならピッタリ収縮。たくさんの時はビロンと引っ張り拡張。伸縮自在、柔らかな皮膚素材で中の商品を優しく保護もしてくれる。そして何より忘れることがない。こんなに便利なのに、なぜ誰もわたしの真似をしないのだろう。

 タロは、その異変に気づいていた。買い物帰りのカナコさん、お腹の袋をパンパンに膨らませ、まるでスキップするかのような軽やかな足取り。袋の便利さにウキウキしているのかと思ったけれど、なんかちょっと違う。両足を揃えてジャンプしている。

 その後何度かカナコさんを見かけるたび、両足ジャンプはどんどんたくましく強く大きく高くなっていった。袋の中の商品が飛び跳ねてこぼれ落ち道に散乱するくらい。

 カナコさんの訃報が流れたのはそんな頃。夜、買い物帰りのカナコさん、両足ジャンプで車に突っ込んだ。走って来た車のヘッドライトに吸い寄せられるように、魅き寄せられるように、迷うことなく大きくジャンプして真っ直ぐに突っ込み跳ね飛ばされた。

 本能だから仕方がないのかな。タロは考える。そう、カンガえルー。

 

 

 ・ セカンドバッグ

 

 自分はセカンドバッグなのだから、ファーストバッグがどこかにいるはずだ。

 セカンドバッグの川グッチさんは、ずっと前からそのことを思ってきた。思ってきたけれど、川グッチさんはセカンドバッグだから、自分で探して歩き回れない。どれだけ"一番″に会いたいと願っても、どれだけ"二番″の小さな心を痛めても、自分の足で探して歩けない。持ち主のクラダさんにお任せするしかない。

 クラダさんは借金の取り立て屋。川グッチさんを小脇に抱え、スフェリシティの東西南北地上地下、路地裏の裏の裏のその裏の裏まで毎日忙しく出向いてゆく。乱暴な扱いの日もあるけれど、川グッチさんがズッシリ膨らむくらいのたっぷりの収穫があった日などはとっても優しく大事にしてくれる。川グッチさんは感謝した。クローゼットの肥やしにすることなく毎日いろんな所に連れて行ってくれるクラダさんに心から感謝した。もしかしたら、いつの日か、クラダさんに連れられ訪れた先で会えるかもしれない。ファーストバッグ。一体どんなバッグなのかな。川グッチさんはひたすら待ち焦がれた。

 クラダさんが行く先々ではいつも予想できないことが巻き起こる。素直にお金を返す人が相手ならクラダさんが出ていく必要がない。みんな曲者、やっかいなしたたか者。借金している当人だけじゃない。同じその人に同じようにお金を貸し付けている同業者たちがいくらでもいる。危ない橋を渡ることなんてしょっちゅう。いろんな人からクラダさんは恨まれている。それでも仕事は仕事。川グッチさんを携え、クラダさんはあちこちへ出向いて回る。川グッチさんは訪れた先々で自分のファーストバッグを探し続けた。

 ついにその日がやって来た。アンベ川沿いの閉鎖された工場。クラダさんに抱えられ踏み込んだ闇の中、次第に慣れてきた川グッチさんの目に飛び込んできた大きな大きなバッグ。染み込んだ油汚れの上にぶ厚い埃が降り積もった工場の床の上、無造作に放り投げられクタリと潰れた頑丈そうな大きな大きなバッグ。あれこそが、生き別れたバッグ。川グッチさんのファーストバッグ。その時、川グッチさんはフワッと宙に浮きそのまま工場の床に墜落した。その上から、クラダさんの体が降ってきた。突然の一撃を脳天に喰らい血を噴き上げたクラダさんが降ってきた。そこからはあっという間だった。クラダさんは四肢を折り曲げられ、川グッチさんのファーストバッグに詰め込まれ男たちに運び出されていった。川グッチさんとファーストバッグの一度きりの邂逅はそうして終わった。

 川グッチさんは、工場の脇のドラム缶でクラダさんの他の持ち物と一緒に焼かれて煙になり流れて消えた。その煙を、アンベ川の河川敷のすすき野原を散歩していたタロが遠く見上げた。

 

 

 ・ サンドバッグ

 

 長い長い刑期を終えて、刑務所を出たその足で生まれ育ったスフェリシティに帰ってきたマコトさん。その変わり様に目を丸くした。虚飾は虚飾。変わらないけれど、町の奥行きが、陰影が消えていた。薄っぺらな無自覚な狡猾さ。薄っぺらな正義、薄っぺらな洗練。その薄さに気づく様子もなくひらひらと風に揺れる薄ら笑い。みんな、どうした? 何かを隠すうちに、何を隠したのか自分でも忘れ、隠したものがそもそも本当にあったのかどうかすらすっかり忘れ、その場限りの綺麗ごとに身を任せ漂い流れるだけの人の群れ。それはシティが悪いわけじゃなく、そう感じる自分の方が悪いのだとマコトさんは一人で思い直した。

 出所の前、マコトさんは刑務所で出所後の社会復帰をスムーズに進めるための講習を受けていた。世の中がどんな風に変わったのか。うまく適応するには何が必要なのか。その中に、スマートホンがあった。マコトさんの収監前には影も形もなかったスマートホンという物がある。国民のほとんどがそれを持っている。余程の変わり者、余程の事情がある者以外は全員がそれを使っている。これが無いと大変な苦労をする。無理をしてでもなんとか手に入れるように。そうは言っても罪を犯しちゃダメだぞ。刑務官は顔を歪めて笑った。

 マコトさんは、スマホを持たないことに決めていた。せっかく刑務所から出られたのに、違う刑務所に入る気がしたから。見えない鎖だと思ったから。直感的に、そう感じたから。

 スマホを持たないマコトさんは、まさに言われた通りの苦労をした。ただでさえ重い重い前科がある身。就ける仕事はそもそも限られている。それが、スマホのせいでうまくいかない。スマホが無いことでうまくいかない。自分以外の全員がスマホの中で生きている職場。うまくいかない。役所の手続きがうまくいかない。料金の支払いがうまくいかない。生活の隅々がうまくいかない。人との交わりが成り立たない。スマホが無いとわかったその途端、まるで何かが欠けた人間を見る目で、何かが欠けた人間を扱う仕草で、何かが欠けた人間に語りかけるように、まっ白な能面が語りかけてくる。冷たい冷たい哀れみ、軽蔑。国民であれば等しく受けられるはずのサービスがスマホが無いと受けられない。それは差別だと、思う自分の方が間違っているのか。どこへ行ってもそこにいる気がしない。スマホが無いとどこにもいられない。スマホの中にしかみんなはいない。スマホの外の人は人ではない。これは異常だと、思う自分の方が異常なのか。ただ単純に、自分もスマホを持てばいいだけなのか。全国民と同じ刑務所に自分も入ればいいだけなのか。そんな迷いや悩みをマコトさんは、六畳一間のアパートで数枚の紙に鉛筆で書き綴った。小さな小さな文字に思いを込め数枚の紙にすべてを書き記した。そしてある朝その姿を消した。部屋には、紙と文字だけが残されていた。

 タロは、マコトさんの思いが詰まったその数枚の紙を順番に重ね、厚紙の表紙で挟んで綴じた。薄い薄い冊子が出来上がった。

 スマート本。

 タロは顔を歪めて笑おうとした。