(4)
足は、そこにあった生が消えた後の空白そのもののように白かった。
加部ちゃんにはパ・リーグの2チームから接触があり話が進んだけれど、その内容が父親の望むものではなく、東京の大学で野球を続けその後のチャンスを待つことになった。ボクとリンは加部ちゃんが居なくなった隣の街の国立大学へ進んだ。教育学部と経済学部に分かれたけれど、受験と中絶が重なった大変な時期に、加部ちゃんを失った地獄の日々に、無力でもそばに居たボクはリンにとっての何かしらの存在にはなっていた。そして交際が始まった。際限なく広がったリンの中の空虚をボクごときが埋めようとして。
空虚を埋める。心と体で?女性の場合は心こそが重要。何よりもまず心を満たされたい。体は二の次。優しくされたい。
リンの心の中を思い遣る。今、何を望むのかを想像する。欲しい言葉を欲しいトーンで欲しいタイミングで心の奥に注ぎ込む。偏りがあったら修正するし、足りなければ補充、多すぎたら回収、丸すぎて退屈なら適度な刺激を笑いに織り交ぜ様子を窺う。真心を飾ることなく伝えてみる。リンの予想を超える思いを伝えてみる。そしてまた心の中を思い遣る。今、何を望む?何が欲しい?
リンのトクベツさは容姿だけではないと母は感心しため息をついた。何気ない仕草、咄嗟の身のこなし、言葉の艶、瞳の奥の誠意。英語塾で多くの人を見ている母が感嘆し、リンを絶賛する。一人息子の初めての彼女だし。それを差し引いてもあの娘はトクベツよ。それはボクもよくよくよく分かっている。どれだけ不釣り合いか、分かり過ぎている。だから思い遣る。必死で思う。今、何を望む?何が欲しい?
リンは、満たされていると言う。優しくされて、幸せだと言う。リンは、言う。言う。言う・・・。言葉が意味を持たないあの境地がリンをどんな形にえぐったのか。えぐられて空いたあの境地の空虚を埋めなければ。虚弱児のボクが。
リンを後ろから優しく抱くボクの、細い腕にいつもの影が宿る。真っ白な細い首に這わせる唇の、優しさに、その影は落ちる。優しくていいの?これでいいの?服の上から優しく撫でる指先に、隙間から優しく滑り込む指先に、その影は暗く重くからみつく。優しくていいの?こんなんでいいの?リンは確かに熱い息を漏らす。鼓動を乱して、震え固くなる。確かにリンは優しさに濡れている。でも、影が言うんだ。そんなもんじゃないと。
影が代わりにリンを強く抱き締める。リンが、聞いたことのない声を上げる。棍棒の腕がリンを絞り上げる。見たことのない顔でリンが呻く。イモ虫のような極太の指がリンに食い込みこじ開け奥を目指す。頭をうずめ激しくのたうつイモ虫にリンは降伏し、自分を捨てる。
目の前のリンはリンのままで、美しいままで、その身を横たえた。重力がリンをベッドに張り付かせその形のいちいちを際立たせる。細い肩の丸み、滑らかに伸びた丘、突然の窪み、震える膨らみ。呼吸に波打ち小さく上下する血管が透けて見える白い肌。色の深まりの果てではち切れそうなほど屹立し切った二つの尖り。その全てをボクの指と舌が優しくなぞり優しく刺激する。優しく這い回り優しくいじる。優しく含み、優しく転がす。リンは身をよじり、切なく悶え、荒い息を吐く。リンのままで。唇を重ね、体を重ね、柔らかな太ももを割り広げる。先端が触れ、先端が沈み、奥までしっかり沈み込んだ時、リンが上げる声を掻き消すように影が大笑いする。鋼の声で。
影はボクより遥かに奥深く遥かに太く固く張り詰めたものを挿し込み突き抜きリンの奥の奥を嫌というほど激しく激しく嬲る。リンは痛みに呻き顔を歪める。リンの顔ではない、醜い顔で。
自分を失くして醜く叫ぶ。リンが言わない、醜いことを。一切の隙間なく挿し込まれたものに自分を引き裂かれ、リンは狂う。繰り返し突かれ奥深く突き抜かれ骨が軋み内臓が揺れ躍る。リンの内からリンが溢れ出す。止めどなく垂れ流され匂い立つ。リンが起こされ天に掲げられる。挿し込まれたものが天を突き上げる。串刺しにされた肉塊が揺れる。口を開け首を振りリンが泣き叫ぶ。天を突き抜く影の激しい律動に跳ね上げられ身を反り返らせてずるずると垂れるヨダレに塗れたまま白目を剥きリンは醜く果てる。それを確認し、リンの奥の奥の奥、性の核心そのものを標的に影の煮え滾る"白いのり″が撃ち込まれ核心中を白く焼き尽くす。その熱が深奥を満たし尽くし自分の全てが開かれてしまったことを焼けつく核心に思い知らされリンはいつまでも醜く果て続ける・・・。
あっという間に果ててしまったボクをリンは美しく抱き締めてくれた。言ってはいけないことがどうしてもボクの口からこぼれ出てしまう。
「なんか・・・ごめん」
何を言ってるのか分からないという顔を作りリンが体を擦り付けてくる。そしてさらに強くボクを抱き締めて、美しいことを、美しく言う。
「こうしてるだけで、幸せなんだよ」
骨と肉の強度は一生付き纏いオスとしての生を左右する。学歴も地位も名誉も金も、それを補えない。ごまかしようがない。生き物としての持って生まれた貧弱さは性で、モロに、露出する。
なんか ごめん そうじゃなくて 早いとか弱いとか そうじゃなくて さらってあげられず 空っぽにできず 津波になれず なんか ごめん リンは空虚を 埋めてもらおうと 塞いでもらおうと 望んでないのに リンは空虚を リンを 全てを さらって欲しいと 願っているのに 優しさも思い遣りも激しさも絶頂も幸せも望んでないのに そんなもの全部 まとめてさらう 大津波だけを 待っているのに
脳内でとぐろを巻く言葉たちのその向こうに、なぜか、父が居た。父が外で生きた「比類なき時空」。その意味こそがとぐろをほどきそうだった。
次の日、ボクとリンは大学の学食で向かい合って昼食を摂った。今、リンは何を望む?何が欲しい?どんな言葉をどんなトーンで言って欲しい?このメニューで良かった?足りない物は?この座り位置でいい?隣へ行こうか?暑くない?寒くない?寝不足じゃない?肩は凝ってない?目は疲れてない?まだ時間はある?課題はやった?スマホの充電は?ボクにできることは?
目の前のリンはやっぱり美しく、宙を滑らせスプーンを口へ運ぶ。
「きれいだね」
ボクの言葉に、一瞬戸惑って恥じらうリン。
「これ。この動きが」
リンの真似をしてスプーンを滑らせるボク。勘違いに気づきさらに恥じらい照れ笑いを浮かべてうつむくリン。
「・・・でもね」
少し改まった声。リンが顔を上げ、ボクを見つめ、言う。
「思ったことを、そのまま言ってくれたらうれしい。私の気持ちとか、気にしないで。拓ちゃんのままで居てくれることが、私はうれしい。大丈夫だから」
リンが望むものをボクが分かろうと望むことをリンが望んでいない。ん?よく分からん。でも分からなきゃ。分からないままじゃ、リンが消える。ボクごときがボクのままで居たら、リンが消えてしまう。ボクの前から。