(1)

 

 書きたくないんだ。指が凍ってる。体が拒んでる。頭じゃなくて。

 コトバの力を信じてない。ストーリーの魅力を信じてない。事実というストーリーを信じてない。コトバを超えた表現を信じてない。だってウソじゃん、ぜんぶ。気づくだろ。本気で何かを伝えようとすれば、たった一度でも、たった一人にでも、本気で何かを伝えようとすれば、"伝える″というそのこと自体が根っこの根っこでウソだとすぐ分かる。二種類のウソ。二重のウソ。二つに分けられない、二つのウソ。

 コトバが通じることに窒息をする。コトバに震えながら虚無をさまよう。沸騰するコトバの熱に焼かれながら絶望をする、コトバのど真ん中で。通じないからじゃない。無意味だからじゃない。その正反対の熱の核心で、冷たい空白に凍え立ちすくむ。二種類のウソ。二重のウソ。二つに分けられない、二つのウソ。

 たとえば誰かが言う。"コトバはシステム″しょせん根拠のない、どこまでも不確かな、実際にそれが機能しているからしょうがなく従っているだけの虚しいシステム。都合よく選ばれ都合よくそこにある、それ自体は何物でもないシステム。選ばれなかった死角もまたシステム。無限の代替物。代わりのシステム。コトバを、ストーリーを批判する。そんなものインチキだと批判をする。事実を担ぎ出して批判をする。事実というストーリー。ぜんぶシステム。コトバを超えた何かにすがりつく。感情、感覚、本能、真の愛。音、色、味、匂い、なまの現実。コトバにできない、コトバにならない、そういうコトバ。ストーリー。ぜんぶシステム。

 二つのウソのうちの一つはきっと、そんな理屈で説明できてしまう。"伝えられない″と、伝えられてしまう。もう一つのウソ。理屈で、コトバで、"伝えられるのに伝えられない″ウソが今もぼくを凍りつかせている。

 ウソにまみれてぼくのことを書く。このぼくのストーリー。誰も興味ない。なのになぜ書くのか。ウソに冒されて。それはウソでウソを喰い破るため。

 

 書くことは、ぼくを殺すことだ。

 

 すでに後篇は完成している。それがあまりに読みづらく難解なので、後篇への導入と解説も兼ねたこの前篇を後から書くことになった。未来があるなら、残り時間があるなら、じっくり資料や記憶と向き合うことで少しはマシなものが書けるのかもしれない。残念ながら今のぼくにはそれがない。思いっきりの駆け足で、思い浮かんだことを書き並べていくだけ。

 

 そのタイミングを逃した理由は何?

 

 触角がへし折れちぎれてしまった。やることすべてが見当外れ。歯車がぜんぶ外れてしまった。どれだけエンジンを吹かしても、どこへも1ミリも進めない。社会とも反社会とも噛み合わない。エンジンだけが唸る。空回り。何もかもぜんぶが吸い込まれるように悪い方へ悪い方へと転がっていく。この地面、この空間そのものが悪い方へと傾いているみたいに。良かれと思ってしたことが悪く取られる。一人二人じゃない。次から次から。人が離れていく。あれだけ親しかったのに。一人二人じゃない。ウソみたい、みんな。嘲笑と侮蔑。隠しても丸見えの。きれいにコーティングされた嫌悪、警戒。誰も恨んでない。当然の結末。ぼくがそうしたんだ。そう望んだんだ。世界で何が起き何が変化し何が駆けめぐり何が脅かそうと、そんなこととはまるで関係なく、今のぼくには残り時間がない。

 ぼくのことを書く。このぼくのストーリー。誰にも伝わらない。伝わるのは、ウソ。

 書きたくないんだ。凍えてる。寒いよ。

 書きたくないんだ。

 遺したくないんだ。

 

 (2)

 

 幼稚園の初日。社会性の開幕戦なのだ。がんばれ!

 中央玄関から入ってすぐの、行事のたびに使われる一番広い教室に入園式を済ませたばかりの新入園児が約50人。大きな輪を作り内側を向き生臭い熱気を放ち身構えている。青いパリパリの新品の園服たち。そうじゃない子は上の子のお下がりだね。その青い輪の中、開けたスペースの中央に、園服に付ける全員分の名札が寄せ集められ山になり置かれている。ひらがなでそれぞれの名前が書かれた緑色のプラスチック製の名札の山。その中から自分のものを探し出すという、教育の入り口に遊びの要素を織りまぜた毎年恒例の趣向なのだ。"よーい、ドン!″で一斉に先を争い名札の山に殺到する園児たち。歓声、怒声、意味不明の奇声。押し合いへし合いもみ合い奪い合う。苛烈な世の中を生き抜くために必要な訓練。社会の原型。

 その生命の発熱の密集にただ一人加わらず群れの外れに立ちか細い呼吸を震わせていた白い小さなもやし。それがぼくだ。"全員分の名札があるんだから、みんなが取り終わるのを待って最後に残った一つを取りに行けばいい″そんなこともうっすら思ったんだろう。でも、あの時のぼくは、何よりただただ、あの熱気に巻かれることが嫌だった。幼い生命力のむせ返る臭気に呑み込まれることが、怖かった。群れる能力、争う体力、青い動物、熱、圧。別の世界。

 騒動が収まり人が引いてからやっと名札を拾いに向かったぼくだけど、どこを探しても名札が見つからない。"自分の″がないわけじゃない。名札そのものが一枚も残っていない。ぼく以外の全員はそれぞれの名札を手にしてキラキラウキウキはしゃいでいる。司会の保育士さんが次の企画の説明を始め、ぼくは取り残され、誰にも何も言えず、ぼく以外のみんながどよめいたり笑い合ったりするのを青ざめて聞いていた。後から調べてくれたその結果、ぼくの分だけ作り忘れていたらしい。ウソみたいなオチ。でもぜんぶ事実。本当の"ウソ″は、そんなことじゃない。

 

 1966年生まれ。すっかりとっくにいい年なのだ。なのに"ぼく″。若干気味が悪い。きっと本人の中では時間が止まっているのだろう。

 ぼくが生まれた時、家には父と母、父方の祖父、祖母、叔父、叔母がいた。大人だらけの中、待望の長男誕生だった。静岡県の静岡市。父は自転車店を営んでいた。店舗兼住宅の二階がぼくたち三人の部屋。廊下でつながった母屋に他のみんなが住んでいた。

 父は体力と好奇心に満ちあふれ、当時最高潮に景気がよかった自転車店の商売をフル回転で営み充分な日銭を毎日稼ぎ出しながら、それを元手に男の遊びのほとんどを器用に遊び尽くした人だった。特にライフル射撃。自衛隊や警察の精鋭選手たちを向こうに回し、週一回日曜だけしか練習しない自転車店主が10年連続で国体出場。優勝も経験。オリンピックの候補選手に選ばれるほどの活躍をした。

 幼いぼくの幼い好奇心にもすべて父自身が楽しみながら付き合ってくれた。虫捕り、魚釣り、スーパーカーショー、ラジコン大会、プロレス観戦、他にも数えきれないあれやこれや。自営業ならでは。自在に時間をやりくりしてぼくの希望に合わせてくれた。店の倉庫にはカブト、クワガタ、バッタ、カマキリ、ザリガニ、イモリ、カメ、ナマズ、ライギョまでウヨウヨ。そして当たり前だけどぼくの自転車はいつもピカピカの最新モデルだった。男子の興味をことごとく理解しそれに応えてくれた頼もしい父だった。

 父にはどんな人ともすぐに親しくなれる不思議な力があった。特に社会的に弱者とされている人たち。幼いぼくにはちょっと怖い人たち。父の側に偏見がまったくなく、"対等″の実感が相手の心に湧き起こるのだろう、他に行き場のない、社会から弾かれた人たちがよく店先に訪れた。きっとよそでは見せることのない、安らかな朗らかな笑顔で父といつまでも楽しく笑い合っていた。そしてそういう人たち以外にも、自転車店の店先には毎日朝から晩まで近所の人や父の友だちが代わるがわる立ち寄った。ほんとに賑やか。人が絶えなかった。ワイワイガヤガヤ、並べたパイプ椅子に腰かけ父と語り合い笑い合う人たち。その熱は夜になっても冷めなかった。修理工具が立てる金属音やコンプレッサーの地響きを包み込む温かく柔らかな笑い声の渦を子守唄にしてぼくは眠った。

 美しい記憶。退屈でしょ?

 仕事と遊び、家庭と交友、生活と世間体のどれもを破綻なく上手に維持していくためには過剰なバランス感覚が必要になる。人の顔色を、人との距離を、人が自分をどう受け止めているかを常にビクビクうかがい感じ取る過敏な神経が必要になる。父はいつもそれに怯えていた。それに気づかない我が子が許せない。細心の注意を積み重ね積み重ね世の中との間に築いてきた穏やかで滑らかで絶妙なバランスを一瞬でも乱す我が子が許せない。人の目を引く言動をわずかでもしそうな我が子の気配に声を上げた。目立っちゃいけない。尖っちゃいけない。よその子どもをその親の前で褒めたたえるために我が子をこき下ろした。この子はエラい。お前はダメだ。そんな意味のことをコテコテの静岡弁で何度言われたか分からないのだけど・・・・・・うーん、これじゃ、なんだかなぁ・・・・・・。もっとヒドいことを、衝撃的なことを、世の中のみなさんが喜ぶことを、書きたいのだけど何も思い出せない。父親としては当たり前のことばっか。世の中を生きるコツ、処世術のヒントを教えてくれていた程度のことばっか。生まじめな人なのだ。優しい人なのだ。その父にこのぼくが何をしたのか。それはまた後ほど。もったいぶりつつ。

 

 この世の諸悪の根源は、母親による息子への溺愛だとのこと。

 母はぼくを溺愛した。

 静岡県西部、遠州地方で代々続く極道一家の親分の家が母の実家。戦後の復興期、何もかもが野蛮な熱量で煮えたぎっていた頃、浜松市の賭博・興行の中核で権勢を振るった組の末娘。全身彫り物の若い衆が何人も住み込みで働く大きな家で荒ぶりいきり立つ男たちの血潮の熱に焼かれ守られ母は育った。同世代の全国の少女たちがスクリーンの中で憧れるだけの映画スターたちが浜松を訪れるたびにあちらの方から挨拶にやってくる。ついさっきまで笑い合いふざけ合っていた若い衆が血まみれの虫の息で戸板に乗せられ運び込まれてくる。怒号、激昂、白刃。それが日常。

 凶暴な野生動物は、凶暴なほど細やかで用心深い。襲い来る危険を事前に察知する繊細で鋭敏なアンテナを持っている。繊細と凶暴、周到と豪胆、明るく眩しい灼熱の太陽とすべてを呑み込み凍らせる暗黒。この世の両極をひとりで合わせ持ちその間を一瞬で往復するような激烈な気性の母に溺愛偏愛盲愛されぼくは育った。

 母の溺愛には元々の気性プラスそれらしい理由もいくつかある。

 母はぼくの出産後、二度流産をしている。ぼくの出産が母の体に相当なダメージを与えたのだろう、健康そのものだった母の体質が出産を境に大きく変わってしまった。そして結婚前のあまりに特殊な環境から平凡な堅気の家に嫁いだことによる戸惑いとストレスの蓄積が母の心に暗い影を落としていた。それらを忘れ振り払い乗り越えるため、この世にただ一人の大切な我が子に炎熱のような愛情を注ぎ込んだ。

 その子は特別に虚弱だった。その虚弱さがより一層母性と愛情をかき立て燃え立たせた。小児ぜん息を患い、少し無理をするとすぐに激しい疲労と高熱に襲われぐったり寝込んでしまう。そのたびに近所の掛かりつけの小児科に担ぎ込み夜通し看病をした。元気な日の方が少ないくらい。だからせめて元気な時くらいは我が子の望みをすべて叶えてやりたかった。食べたいお菓子はいつでもひとり占め。観たいテレビはいつでも観放題。欲しいオモチャは必ず手に入れる。どれもこれも我が子の笑顔のため。苦手な人は遠ざけ会わせない。敵は許さない。吼える。噛み殺す。囲い込み守る。包み込み守る。それもこれも我が子の笑顔のため。

 その笑顔を奪うのも母だった。

 いつものように体調を崩し寝込んでいたぼく。その様子が落ちつき回復したと思った母はぼくをおんぶし近所の雑貨屋へ買い物に出かけた。母と店主のおばさんとの楽しい談笑。太陽の母は近所の人気者だった。しばらくして母の背中のぼくは、お腹を圧迫され揺すられることによるたまらない吐き気を覚え始めた。吐いてしまう前に母に伝えなければ。何度もそうしようとはしたけれど、弾けるような会話に割り込めない。ぼくの声を母の声が押しのける。盛り上がる会話を邪魔するんじゃないと。込み上げる吐き気。我慢の限界。ぼくは母の背中に吐いてしまった。母はぼくを激しく叱責した。"汚い、臭い、吐く前になぜ言わない?″"言おうとしたんだけど言えなかった″それが言えなかった。聞いてもらえなかった。"ほんとに汚い、臭い、どうしようもない!″極道さえビビるバリバリの遠州弁でその意味のことを怒鳴り続ける母の背中にしがみつき何も言えないぼく。何も言えない。聞いてはくれない。

 両極なのだ。一つじゃないのだ。光にも、闇にも、何も言えないのだ。

 

 フツーの子としてフツーの子の集団で生きる訓練を始めたぼくは、フツーではない体力の乏しさと気の弱さに苦しみあえいでいた。幼稚園の当たり前のカリキュラムを当たり前にこなすフツーの子たちの当たり前の生命の輝きをひとり外れから見つめ凍えていた。何をやってもみんなに付いていけない。疲労と発熱で休んでばかり。フツーの子に見えるのにフツーじゃない。ひとりぼっち。望んでるわけじゃない。記憶がね、幼稚園での、自分自身の記憶がほとんどない。遊ぶみんなの、並ぶみんなの、騒ぐみんなの記憶だけしかない。それをいつも外れからひとりぼっちで見つめていた記憶しかぼくにはない。

 

 小学校に入学して、自分がひとりぼっちであることへの強烈な自覚はさらにさらに深まっていく。

 とにかく集団に加われない。体力の無さ、ひ弱さ、か弱さ。そこから来る自信の無さ、気弱さ。子どもにとってはすべてが致命的。居場所が無い。誰とも交われない。笑われ、怒られ、呆れられ、見捨てられ。開き直る勇気などあるはずもない。

 フツーの見た目でありながら、フツーの子たちが作るピラミッドに入れない子は三つのものに憧れる。1.フツーの子 2.フツーじゃない子 3.ぜんぶを超越したスーパーヒーロー。1と3はフツー。2だけちょっと説明。当時のぼくは、誰が見ても明らかな障がいのある子みたいになりたいと願うことがあった。フツーであることを強要されない。フツーでないことを認めてもらえる。フツーの子と同じことができなくても怒られない。優しくしてもらえる。とんでもない無知。無自覚な差別。子どもだからと許されることじゃない。でも事実ぼくはそう願っていた。そんなことまで夢想するくらい日々ぼくは本当にギリギリだったのだ。

 給食を満足に食べたことがない。味わい楽しみ食べたことがない。絶えず激しい緊張に襲われ震え、周囲の目に怯え、不調和に凍え、果てのない疎外感に青ざめながら食べ物が喉を通るわけがない。食欲をはるかに上回り抑え込む緊張が毎日毎日続いた。給食が終わり、掃除、昼休み。5時間目が始まってもぼくの目の前にはクリーム色の食器。そのままの給食。ぼくに何かしらの悪意があって食べないのならそれで反省でもするのだろう。ぼくに悪意などない。フツーに食べたい。喉を通らないんだ。フツーじゃないから。

 体育の行事は地獄だった。運動会、マラソン大会、水泳大会。練習ではクラスの笑い物、本番では会場中のさらし者。体以上に心が深く裂けた。小学校の低学年。うすいうすい柔らかなむき出しの肌を無数の観客の嘲笑の津波が刃となって突き刺し破る。深く深くえぐる。芯の芯まで。きっと人にとってとても大切な侵されてはいけない心の背骨が粉々に砕け散る音を何度も聞いた。何度も何度も。いつもひとりきりで。

 3年生の秋、運動会。徒競走の出番を待つぼくはある企みにとらわれ震えていた。無様なビリでまた笑われるよりも、途中で転びレースを投げ出そう。哀れんでもらおう。心配してもらおう。バカにされ笑われるのはもう嫌だ。

 スタートの合図。飛び出す左右の影。遅れてひょろりと動き出すぼく。無力な全力で必死にあがくぼくに気づき目を凝らす顔の列。人間が人間をあざ笑う顔? 否。永遠に自分と対等にならない劣等な生き物を見つけた顔。数百のその顔がぼくを取り囲む。ひ弱な手足をからめ捕り笑う。もう嫌だ。終わりにする。ぼくはよろけつまずき膝から倒れ込んだ。

 顔を上げゆっくりと立ち上がった時、音は止み、景色は白く固まっていた。あざ笑う顔が、無数の顔が、感情をなくした仮面になっている。誰ひとりだませない下手くそな演技にすべての顔が仮面になっている。ぼくは仮面の群れから目を逸らした。ああ、万国旗のあそこがねじれてるな。テントの左端がめくれてるな。入場門の飾りがずれてるな。白線のあそこがはみ出してるな・・・・・・。そしてぼくは、視界の隅に、仮面の群れの奥に母を見つけた。ぼくを見つめる母は、仮面の母は、くるりと背を向け立ち去っていった。ぼくはひとりきり、前よりひとりきり、真っ白な景色の中立ちすくんでいた。

 帰宅後母に何を言われたのか、なぜかまるっきり憶えていない。

 母は幼稚園での父母会や小学校でのPTAで自ら進んで役員を務め保護者たちのまとめ役になっていた。激烈な気性の明るい側面、朗らかで物怖じしない太陽の面を生きいきと愉快に発揮していた。そしてぼくを守った。そのためには相手が誰であろうと牙をむき噛みついた。モンスターなんか生ぬるい。純粋純血サラブレッドの極道。胆力が違う。皆、黙り込んだ。

 ぼくはその時喜んだだろうか? 母のことを頼もしく思っただろうか? それとも母が恥ずかしかっただろうか? どうすればいいか途方に暮れただろうか? 母の愛情の凶暴な爆発にぼくが何を感じ何を思ったのか。答えは一つじゃないことは分かるんだけど、じゃあ、たくさん書けばそれでいいのかな? それで伝わるのかな、本当のことが? 穴をふさいでふさいでふさいでふさいでとにかく死角さえ無くしていけば、いつかどこかで本当のことが伝わるのかな? それって本当なのかな?

 

 死角の圧力にコトバが固まる。何も書けてない。何も書けていない。

 幼稚園には何人かの友だちがいたし、一緒に遊んだし、笑い合ったし、自分なりのその場での居方を考えながらそれなりに上手くやってもいたはずだ。小学校にも友だちがいたし、得意なこともあって褒められたりみんなで楽しくはしゃいだりもしたはずだ。それがそっくり死角になっている。ウソをつくつもりなどまるでなくて、当時のぼくのことを事実そのまま正確に書こうとすると死角ができてしまう。その死角を正確に書いてみたとする。こと細かに一部始終事実そのまま正確に書き表してみたとする。そこにはその死角が必ずできる。死角を書く。そこに死角ができる。死角を書く。そこに死角ができる。何かを選べば、死角ができる。コトバは、ストーリーはそうできている。

 平面も立体も逃げられない。

 まずストーリー。そしてその死角。死角もまたストーリー。そしてその死角。それもまたストーリー。そしてその死角。キリのないシステム。ストーリーは、ウソ。

 これは"二つのウソ″のうちの一つ目の方。"伝えられない″と、伝えられる方。

 つまらない方。

 ありきたりな方。

 

 (3)

 

 子どもの体質は10歳前後で大きく変わる場合があるらしく、ぼくも小4になった頃から少しずつ体力が向上し始めフツーの子のピラミッドになんとか参入することができた。そうなってみると不思議なもので、学力も一気に上がり元々持っていたいろんなジャンルへの興味も活発に発揮され始めた。勉強できるヤツ。遊びに詳しいヤツ。体育はダメだけど、面白いヤツ。そのポジションを守るのに必死だった。フツーの中に居るのに必死だった。消えることのない居心地の悪さ。フツーとの不調和。ニセモノの自分。その不安をなんとか覆い隠すため、フツーであるため、ぼくは必死だった。作り笑い、愛想笑い、ピリピリ、ビリビリ。そのつどのポジション。自分の見え方。

 度が過ぎるイタズラも自分のキャラを保つための必死の努力だったのだろうか。

 ウソつけ。楽しかっただけのくせに。

 校舎の階段、踊り場の通り道に、掃除用のワックスをぶ厚く塗って物陰から友だちとクスクス笑い覗いていた。通りがかったのは生徒じゃなく、先生。足を滑らせ階段の下まで転落。打撲程度で済んだのが奇跡だった。

 火災報知機の交換工事をしている現場から取り外された古い報知機を持ち帰った。誰もいないとこに置いてあったからもう要らないもんだと勝手に思ったのだ。全校生徒宅に連絡網が回った。"ホウシャノウが出る。危険。緊急事態″夜の校長室に報知機を持参したぼくに先生たちは意外にも優しかった。"元のままで本当に良かった。分解でもしていたら大変なことだった″ホッとした顔で何度もそう言われた。分解寸前だったことは黙っていた。

 座る瞬間に椅子を後ろに引くイタズラで隣の席の女子に大ケガをさせた。担任の机の上の書類に手を入れてみんなのテストの点を書き換えた。給食配膳用のミニエレベーターに乗り込み騒ぎまくって故障させた。ゲームで負けた友だちにコンセントの穴に針金を突っ込ませた。さすがに怖かったので止めたけど、みんなのノリに上気した本人が制止を振り切り決行してしまった。感電した。保健室の先生と担任が駆けつけ、一点を見つめ呆然としているその友だちの手当てをしてくれた。体のケガはなかったようなのだけど、その日下校するまで誰が話しかけても彼は無表情のうつろな目で黙りこくっていた。

 ここに書けないことが山ほどある。書けるのはわずか。明るみに出たものだけ。いまだに隠しているとても口には出せないヒドいことが山のようにある。卑怯なのだ。弱いから。人に注意され非難され怒られることが心底苦手。本当に怖い。犯した罪はなんとか隠そうとする。隠し通せれば罪ではないかのごとく。弱者の卑劣さ、浅ましい姑息さは、この頃から一生続くことになる。

 ぼくが何かしでかすたびに菓子折りを持ち一緒に先方へ謝罪に行ってくれたのは母だった。叱られたことは一度もなかった。それどころか毎回母はなんだかニヤニヤして楽しそうだったのだ。いつもひとりぼっちの風が吹けば飛ばされそうな大人しい虚弱児なんかより、他人様に少々の迷惑をかけるくらいのヤンチャ坊主の方がよっぽどいい。ヤンチャを極めたプロたちをよく知る母。子どものイタズラくらいどうってことなかったのだろう。

 虚弱の影はどこまでも付いて回る。フツーの、ヤンチャな、イタズラ小僧のフリをどれだけしても、か細い骨格に深く染み込んだ虚弱の影は決して消えはしない。

 母が評判を聞きつけぼくが学校で恥をかかないために通わせ出した水泳教室。有名な水泳選手一族が経営するそこは、今では考えられない体罰が日常の上級者育成用のスパルタ教室だった。そこへなぜかぼく。場違い。生け贄。水から顔を上げるとデッキブラシで叩かれ溺れる寸前まで沈められる。水から上がろうとすると蹴り落とされる。ニタニタ笑われる。繰り返し繰り返し。プールサイドの端から端までビート板で往復ビンタをされながらじりじり後ずさるぼくをみんなに見せつける公開処刑を何度も執行された。"ながれるプール″じゃない、"なぐられるプール″。見ていた他の生徒たちはどう思ったのだろう。保護者席の母はどう思ったのだろう。

 ある日小1の子とのレースで負けたぼくはいつも通り公開処刑を受けなんとかレッスンの終了を迎えた。そこのシャワー室には大きな浴槽があり、温かいお湯が張られレッスン後の生徒たちはそこで体を温めるのを楽しみにしていた。その日シャワー室に乗り込んできた母は浴槽に浸かるぼくを引きずり出した。"何をしている、恥ずかしい、みっともない! おフロなんか楽しむ資格はない!″母に腕をつかまれ引っ張られながらロッカールームへと消えていくぼくを見つめていたみんなの顔。いつかどこかで見た、真っ白な仮面の群れ。その仮面のみんなともこの日でお別れ。弱者はふさわしい場所へ帰っていく。

 

 「  」を使うべきところで使っていない。なんか恥ずかしいのだ、セリフになった途端。"こういう意味のことを言った″という書き方ならまだマシ。なんとか書けるんだけど、「  」を使っていかにもなセリフを書くのがどうにもウソ臭くてダメで。どうでもいいこと。ほんとに、どうでも。"コトバはウソ″というテーマの作品中でそんなレベルのウソ臭さに引っかかってしまう、その無駄に無闇に過敏な神経も虚弱児特有のものなのだろうか。無神経なくせに神経質なのだ。

 そしてこういう書き方、自分を貶める。"卑怯″"弱い″"無神経な神経質″だと。これをやるとまるで"そういう自分を分かっている自分こそエラい″と書いているかのよう。違うのだ。そういうことじゃない。

 ぼくが水泳教室を辞めてから10年ほど経った頃、経営者一族の身に痛ましく悲しい出来事があったと聞いた。ぼくのエピソードと並べて書いたらまるで悲劇のエンディングのような出来事。でもそれについては書かない。絶対に。それを"書かない″ことと、ぼく自身を貶めることを"書く″ことは同じ境界線の上をめぐっている。"書く″ことと"書かない″ことの境界線。常に迷いながら、グルグルグルグル、ぼくはその上をめぐり続けている。

 

 コトバの意味は通じてるだろうか?

 

 中学校の学区は広大で、歴史的な矛盾葛藤が複雑に入り組んだ地域だった。そこで育った悪ガキが一学年600人近くいるマンモス中学。時代は校内暴力真っ盛り。荒れに荒れていた。いろんなものを見た。

 入学時に威厳を示そうと何かと理由をつけて目立つ生徒を殴り飛ばしていた体育教師がいた。次第に生徒の体が成長し体力で圧倒できなくなった途端不良グループに笑顔で近づき媚びへつらう姿をまざまざと見た。使いっパシリのヤンキーが母親の目の前でグループのリーダーに土下座をさせられ頭を踏みつけられ泣きながら謝り続ける姿を見た。片足が不自由な音楽教師が壁に押しつけられ首を絞め上げられ動かない足をバタバタ動かしてもがき苦しみ叫ぶ姿を見た。校内に乗り入れてきたパトカーを取り囲んだ興奮したヤンキーの群れがパトカーを襲撃した新聞沙汰になる事件の一部始終をライブで見た。

 見ただけなのだ。それだけなのだ。

 テスト勉強はTVゲームとおんなじで作る側の意図と法則さえつかめれば後はそこへそのつどの素材を放り込むだけで答えが出た。いい点が取れた。学年で1ケタは当たり前で1位の時も何度もあった。そういうキャラが付く。優等生の。そうじゃないのに。望んでないのに。数字が証明しているのだからそこにスッポリ収まっていればいい。そうなりたくてもなれない人がいっぱいいる。堂々とそこに居ればいい。それができないのだ。居られないのだ。そこは違うのだ。いつも違うのだ。誰から何をどう見られてもいつもその自分は自分じゃないと感じる。蔑まれてる時だけじゃない。褒められ認められてる時も。いつも。そこは違うのだ。居られないのだ。自分じゃないのだ。いつも違うのだ。どこへ向かってどんな答えを出してもそれはいつも必ず間違っている。どこへ向かっても無駄。意味はない。それでも、何かキャラを付けなければ。

 勉強できるキャラはカッコ悪い。時代は不良、ヤンキー。できるかな。仲のいい友だちが近隣一帯に名前が轟く存在だったので、ぼくが少々不良の真似事をしてもトラブルに巻き込まれることはまずなかった。てかそもそも相手にされてなかった。勉強トップのヒョロヒョロしたヤツがチョロチョロチョビチョビまつわりついてくる。どこにでもいるファッションだけのクズ。居場所に帰れ。どうでもいいけど。

 母はぼくのヤンチャをとがめなかった。やっぱりどこか、楽しそうだった。

 部屋で隠れて吸っていたタバコの吸い殻が外出中にきれいに片づけてあった。ピカピカになった灰皿が元の場所に置かれていた。母は何も言わず。泊まりで遊びにきた友だちとビールを飲み深夜まで大騒ぎした。翌日それを知った親御さんから電話があり母は丁寧に謝った。電話を切った母はニヤニヤしながら"それくらいのことで″と小さく吐き捨てた。

 だからあの時もぼくにはぜんぶ誤解だとすぐに分かったのだ。

 近所のゲームセンター。路上駐輪の自転車のステッカーから名前を調べて学校へ報告した人がいた。それがうちの母だというウワサが立った。相変わらず保護者の中でのリーダーとしてあれこれ活動はしていたけれど、そういうことをするタイプではない。文句があるならその場で怒鳴りつける。まったくの濡れ衣だった。でも一度火がついたウワサが消えないのは昔も今もおんなじで、その時名前を報告されたひとりからある日の放課後呼び出しを受けた。廊下の片隅、向かい合うふたり。誤解だと伝えようと話し出すぼく。彼はいきなり持っていた帽子を大きく振り下ろしぼくの頭を強くはたいた。怒りに駆られた彼の顔。誤解を解くのは不可能だと悟るぼく。続いて彼はぼくを壁に押しつけ正面から腹を蹴り上げた。そのままの姿勢で腹をグリグリ。ぼくは彼の足をつかみ押し返した。バランスを崩し大きくよろける彼。ケンカが始まる。覚悟を決める。でも次に彼がぼくに向けた顔。驚きと戸惑いと少しの恐れ。絶対に抵抗などしないと思っていた虫ケラが自分に歯向かってきた。死んでると思ったゴキブリが突然猛スピードで動き出したかのような。そのくらい心底ナメられていたのだ。ぼくは彼の足を押し返しただけなのに。彼は口の中でゴニョゴニョ何かをつぶやきながら目を逸らしその場から去っていった。

 あの時ぼくの言うことを信じてくれた友だちはひとりもいなかった。全員がウワサに流された。ニタニタ笑った。冷たく睨んだ。それを悲しまない自分が悲しかった。ひとりぼっちが悲しくない、悲しさ。そんなもんなのだ。しょせんひとりなのだ。真実はウワサの前では無力。ネット社会への移行のはるか前、貴重な予習をさせてもらった、そんな話。

 なんて書くとちょっと収まりがいい。違うのだ。ぼくの真実がウワサに負けるのはぼくのせいなのだ。ぼくに信用がないから真実を語っても誰も信じてくれない。それだけなのだ。

 ぼくのキャラ設定の迷走は続き、音楽・芸術好きのオシャレなグループや笑いのセンスが飛びぬけたグループにもチョコチョコと入れてもらい楽しく過ごした。"入れてもらい″なのだ。ニセモノなのだ。ぼくは何者? インチキなのだ。

 ぼくはどれだけキャラ設定で迷走しても片足だけは勉強トップキャラから抜かなかった。コツさえつかめば毎回同じことの繰り返し。なのに大人が、親が喜んでくれる。惰性、退屈、ぼんやりの使命感。そこではないけど、他が見つからない。勉強トップキャラに片足を突っ込みながらもう一方で他のキャラをまさぐる。上っ面だけを、見てくれだけをまさぐる。キャラなのだ。しょせんキャラクター。うすっぺらな、簡単にはがれ落ちる、誰かと取り替え可能なキャラクター。

 人の個性など結局突きつめればすべてキャラに過ぎないと言う人がいる。それは違う。ホンマモンがいる。キャラとは違うホンマモンが確かにいる。痛みの濃度の次元が違う。切実さの質の次元が違う。キャラとして身にまとい飾り立て人に見せつけるものじゃない、身を裂く、噴き出す、自分ではどうしようもない抑えられない痛切な炎。凍りつく闇。

 

 それは突然降って来た。襲って来た。

 石田街道から静岡大橋へ向けて入る道。当時は車一台通るのにギリギリの一方通行の細い道。中2と中3の間の春休み、よく晴れた暖かな日の午前中。自転車を漕ぐぼく。ゆったりと春の眩しい陽射しに包まれて進む。息を吸い込む。光の粒子が体中を駆けめぐり跳ね躍る。溶け出す風景、止まった時間。ぼくは風にとろけて腰を浮かせた。立ち漕ぎの姿勢から右足をゆっくり踏み下ろす。ペダルを深く、グッと。その瞬間、底が抜けたんだ。世界の底が抜けた。はっきりと。自転車もぼくもそのままの姿勢で変わらずゆっくりと進んでいる。何も変わってない。でもぼくの右足がこの世界の底を確かに踏み抜いた。

 虚しいんだ。何もかもが。世界には底が無い。虚しいんだ。

 目の前のことをなんとかしようと必死でがんばる。逃げずにがんばり抜く。負けるよりやっぱり勝つ方がいい。勝つために努力する。必死でがんばる。それで負けた時虚しいのは分かる。ぜんぶ無意味だと思うのは分かる。でも、勝って虚しいのが分からない。たまらなく虚しいのが分からない。他にどうすれば、それ以上何をすれば、虚しくならないのかが分からない。負けたら虚しい。勝っても虚しい。勝負が虚しい。生が虚しい。生はここにある。こここそが虚しい。ここではないどこかへ行かなくては。この虚しさに殺されてしまう前に、ここではないどこかで生きなくては。それはぜんぶ後から考えた理屈。あの瞬間は、直感だった。理屈にしてしまえばそんなところ。あの瞬間は、直感だった。

 

 14歳の直感に撃ち抜かれながら、それをどう受け止めどう理解しどう行動すればいいのかまるで分からず直感の余韻に焼かれ怯えながらぼくは変わらず暮らし続けた。キャラの迷走は続き、勉強も続け、15歳になり、進路の相談。ぼくの成績では県内一の伝統進学校が当然の進路。クラスで一人だけ。他の進路など考えられない。相談不要。そのぼくが三者面談の途中でいきなり海外行きの希望を切り出した。英語圏の、学校が無理なら働くのもいい。とにかく、海外。よく分からないけど、このままこの国に居続けたらきっとぼくはダメになる。この国の外、英語なら少しは分かるから英語圏の、どこでもいいんだけど・・・・・・。担任も母も啞然。 ?????。ぼくが何を言い出したのか分からない。言ってるぼくもなんだか分からない。自分が何を言ってるのか分からない。

 数か月後、ぼくは当然の進路、前述の進学校へ入学することになる。海外渡航自体が今よりはるかに珍しく、まして留学なんて私学の別世界の話だった頃。教師が生徒の暴力から身を守るのに必死の公立中学に海外などという発想はそもそも無い。情報も手段もその気も無い。ぼく自身にも、理路整然と自分の希望を伝える能力も無く、何が何でも希望を貫き通す覚悟も勇気も備わっていなかった。世の中の仕組みを熟知しているはずの身の周りの大人たちが全員口をそろえてぼくが間違っていると言うのだからきっとぼくが間違っているのだろう。600人もの同級生の中にぼくと同じような希望を持った子がただの一人もいなかったのだからきっとぼくが間違っているのだろう。14歳の直感にウソをつき、自分をだまして、ぼくは流された。

 

 コトバの意味は通じてるだろうか?

 

 高校生活、スポイルの日々。そんなこと書いたら怒られてしまう。その高校の卒業生であることを誇りにしている人たちがたくさんいる。学校が悪いわけじゃまったくない。ぼくが悪いのだ。目的無いから。ただ居るだけ、過ごすだけ、青春の日々を。アメーバ、スライム、目くらまし仮面。人にはリッパに見えるらしいのだ。校名で大人の顔色が変わる。見る目が、口ぶりが、態度が変わる。横柄だった人が豹変する。その逆もいる。敵意むき出しの。条件反射。そんな校名。

 両親はとても喜んでいた。ぼくが生まれてしばらくして叔父、叔母が独立。小2で祖母、中2で祖父が亡くなり、親子三人での暮らしの中でその校名は笑顔の源だった。明るい未来を思い描いただろう。我が子の幸せを思い描いただろう。それが掌に乗ったと思っただろう。我が子がそれをつかむと思っただろう。

 恋愛というのがよく分からない。性欲は分かる。情愛も分かる。憧れも嫉妬も幻想も分かる。恋愛と言われると、分からない。堕ちる勇気がない。チキンワイズマン? やっぱ卑怯なのだ。傷つくのが怖い。

 その高校へ通い出した途端急にモテだした。戸惑う。のぼせる。高校近くのいくつかの女子高の生徒から次々と告白をされた。手紙をもらう。プレゼントをもらう。登下校の途中で待ち伏せされる。家の電話が鳴りやまず店の営業に支障が出ると父から文句を言われる。何が起こっているのか分からない。告白された中には同じ中学の、当時ぼくが話しかけても冷たく素っ気なく返事さえしてくれなかった子までいた。その校名は女子も変えるのだ。大人と女子を変える。女子は大人なのだ。

 その大人な女子のうちのひとりと、初めての体験をすることになる。彼女は初めてではなかった。大人だもん。

 野球の強豪校でもある我が校だけど、その年は県大会で敗退し他人事の甲子園中継を彼女の家のリビングで観ていた。平日の昼間、家にはふたりだけ。そんな空気になり、テレビ点けっぱなしで彼女の部屋に移動しそういうことに。なんてこともなく、そうなっただけ。その最中の、遠くから聞こえる野球中継をぜんぶ覚えていた。試合の展開、アナウンサーの抑揚、鋭い解説、応援のリズム。こと細かにぜんぶ覚えていた。それを言ったら彼女は怒るだろうし、悲しむかもと思い黙っていた。黙っていてよかった。それからすぐに彼女とはサヨナラすることになるわけだし。

 彼女はぼくと関係したことを学校で吹聴して回ったらしい。同じ女子高の別の生徒がその時のぼくの様子を詳しく詳しく知っていた。純粋なぼくは女子に失望した? 逆なのだ。ぼくと関係することが女子高の中で大きな価値を持ちそれを手にした彼女がみんなの嫉妬と羨望の的になっている。それがうれしかった。なんか楽しかった。

 その程度の人間なのだ。他の人格と、異なる性と、真正面から向き合うことができない。悩み苦しむことから逃げている。どこまで行っても自己愛なのだ。恋愛も同性の友だちへの見栄とポーズのための道具でしかない。彼女のことを責める資格はない。やっぱ卑怯なのだ。そう、弱いから。

 高校時代といえば思春期真っ只中。みずみずしい感性が傷つき悦び切なく震え輝き脈を打つ赤裸々でヒリヒリと生々しいエピソードがいくらでも生まれたはず。クリスマス休暇中の出来事だけで一冊の長篇を書いた人もいた。なのにもう書くことがない。思い浮かばない。記憶が霧の向こうに隠れている。"空間は屈辱に発し、時間は後悔に発する″だとか。だとしたら記憶がぼんやりなのはそれだけ幸せだったということなのかも。ふわふわ、ゆらゆら、ぽかぽか、ゆるゆる、ふんわりしあわせ、フツーの意味では。切実な不安も恐怖もないし、なんかほめられるし、なんかモテてるし、天気はいいし、寒くはないし、なんかしあわせ、フツーの意味では。

 ぼくはフツーになんかなれないのに。

 その言い草がフツーそのものだ。

 あ、書いておくこと思い出した。信仰の告白をしておかなければ。宗教のことじゃない。ぼくは無宗教。もっと世俗的で、一般的で、大衆的で、商業的で、同じものに同じように震える人が掃いて捨てるほどいる、そんな信仰。

 小学校入学時のところで書いた、フツーになれない子が憧れるものの"3″。フツーじゃない自分も、フツーのみんなも、ぜんぶまとめて超越するスーパーヒーロー。小さい頃は文字通りテレビの中で悪者をやっつける戦うヒーロー。それがやがて実在する人間へ、表現する人間へと移っていく。まるで自分のことを言ってるみたい。自分の苦しみを書いてるみたい。自分の悩みを歌ってるみたい。自分の未来を示してるみたい。"アスファルト″"コンクリート″"クラクション″"自由″"孤独″"愛″"真実″"本当は何もかも違うんだ″・・・・・・。貫くんだ。とろけるんだ。しびれながら染み込み沸き立つんだ。絶対なんだ。すべてなんだ。これこそが真のぼく。震えるんだ。そして虚しいんだ。どうしようもなく。隙間や継ぎ目が虚しいんじゃない。信仰の狂熱のど真ん中が、恍惚の核心が虚しいんだ。その虚しさについて書かれたコトバに、歌われたコトバに共感をする。そこに表現された"真の真のぼく″。それが真に真に真に、虚しいんだ。どこにも居られない、信仰したまま。とろけたまま信じ続けられない。そんな人用の信仰もどこかで売っているのかな。いくらなのかな。

 

 地元の国立大学に合格した。無目的無方向無気力な3年間をひたすらダラダラと過ごしたぼくにはそんな保守的を絵に描いたようなズブズブの進路がピッタリお似合いだったのだ。また流されたのだ、大きな流れに。目くらまし仮面、依然欺瞞仮面。自宅から原付で通える地元。家庭教師の依頼が何件も来る。役所や銀行の地位のある人からスカウトまがいの声がかかる。親が喜ぶ。堅実。安泰。申し分のない間違いない道。

 原付は大学へ向かうのを拒み、海を目指した。ぼくも従った。駿河湾に面した広い砂浜。一面の青と白、光の風。それが灰色だったり黒だったり、その間の複雑なバリエーション。風も光らずただの風だったり潮の粒だったり砂粒だったり。その微妙な変化に気づくくらい、ぼくは繰り返し砂浜を訪れた。原付が言うことを聞かないのだ。勝手に行っちゃう。どうしようもない。

 

 ほほえみ ぬくもり まどろみ ぬるまゆ ほころび ごまかし みせかけ まやかし いかさま めかくし いんぺい せんぷく よくあつ ぶんれつ うっけつ ちっそく らくえんのまんなかでたおれたのだ おはなばたけできをうしなったのだ とっくにげんかいをこえていたのだ からっぽにみたされてはじけたのだ ばけのかわのおもさにつぶれたのだ むしのいきなのだ しょうにぜんそくだ ばけのかわがむけた ずるずるずるずる ずるむけにむけた あかむけにむけた あかはちのいろあざやかなちのいろまっかにきらめきにじみだしにえたぎりとうとうふきあがりそらをぬりつぶしおどりながらふりそそぎふりしきりちじょうのすべてをぬらしそめつくすあかはちのいろたましいのいろ

 

 大学1年の冬、ぼくは2年次を丸々休学する手続きを始めた。日本を出る。海を渡る。決めた。あの14歳の直感だ。この生を、ここで生きるこの生を、呑み込む虚しさを切り裂き飛び立つ。誰も何も付いて来られない場所へ。すべてが異なるはるかな世界へ。死なない自殺。あの世より遠い、すべてが異なる生きた世界へ。14歳のはずがもう19歳。だいぶズレてる。大丈夫かな。

 

 コトバの意味は通じてるだろうか?

 

 本当に意味は通じてるだろうか?

 

 たとえば"直感″。これを読む人が感じ取り解釈する"直感″と、ぼくの"直感″は合ってるのだろうか。同じ意味なのかな、何から何まで。それについてコトバを突き合わせて確認し合うことはもちろんできる。でもそこに出てくるコトバについてはどうなのかな。その意味は同じなのかな。それについてコトバを突き合わせて確認し合うことはやっぱりできる。でもそこに出てくるコトバについて同じ意味だと確認し合うためには・・・・・・。キリがないのだ。不確かなのだ。どれだけ確かめても次があるのだ。なんとなく伝われば、いいじゃんか。心にグッとくれば、いいじゃんか。不都合さえなければ、いいじゃんか。それで済まない極地が確かにある。意味が不確かでは許されない極地。コトバの意味に命懸けの極地。そこで初めて浮かびあがり命を弄ぶコトバの意味の不確かさ。

 これも"二つのウソ″のうちの一つ目の方。"伝えられない″と、伝えられる方。

 つまらない方。

 誰でも言う方。

 

 (4)

 

 1年間の休学中、渡航の準備、手続き、資金のためのバイト、最低限の語学力の習得期間を経て、ついに海を渡ったぼくは7か月間の海外滞在を経験した。

 帰国し大学に復学したぼくはすぐに退学をした。必然だった。

 コトバに、形にしたかったんだ。あの"直感″を。"外への衝迫″を。外は、行ってしまえば外ではない。そこが内になる。一瞬で閉じる。でも、ここから、内から、外を求めるあの直感だけは、"外″なんだ。外への衝迫だけが、"外″なんだ。それを突きつめたいと願ったんだ。ぼくを閉じ込める、内に閉じ込める、何から何までを探り出し見つけ出し明晰なコトバにしてさらけ出し斬り捨て切り刻み残らず焼き尽くし根絶やしにしたいと願ったんだ。なんの素地も教養もあるわけじゃない。ゼロからの独学。暗闇の模索。衝き上げる不安、切迫、焦燥。大学なんかに行ってるヒマはない。狂ったように本を読む。ノートを付ける。狂ったように映像を観る。ノートを付ける。狂ったようにメモを取る。ノートにまとめる。紙に向かう。書く。狂ったように。"ように″だから狂ってはいないのかな。気づかないらしい、本人だけは。

 ぼくは卑怯だから、ぼくは弱いから、狂ったような自分を隠そうとする。狂ってない顔で道を歩くし、狂ってない声で人と話すし、狂ってない体裁を繕うし、狂ってないフリで生き延びようとする。また仮面だ、欺瞞だ、目くらましだ。日常は、生活は、マボロシだ。20歳での帰国から今の今まで、日常と執筆の二極分化二層構造は途切れず続いている。分けなきゃ狂う。書かなきゃ狂う。書けば書くほど不安になる。狂う。

 

 母はぼくの海外滞在中、心を病み精神科へ通院していた。極度の不安で胸が裂けるように痛み、横になって眠れず椅子に身を沈め夜が明けるのを待つ日々が続いた。ぼくの帰国を懇願する手紙をそのつどの滞在先へ送り続けた。それが叶わないのならこちらからと、パスポートを取得し未知の彼方のぼくの元を訪れようとさえした。帰国の目処が立ち日程が決まってから病状は少しずつ回復し、帰国当日は静岡から成田空港まで父に運転をさせ車で迎えに来た。

 大学を辞めることになった時も母は強い反対をしなかった。何をしていようが、自分の視界の中、自分の世界の中に居てくれさえすれば。その切願に真っ黒いヒビが走る。ぼくがヒビを入れる。仕方ないのだ。

 ぼくはいくつものバイトを掛け持ちして働いた。寿司屋の店員、雑誌の校正係、家電品工場の工員、室内装飾の補助、ラブホテルのフロント係等々。父が営む自転車店の収入で生活はなんとかできていたのだけれど、執筆の狂気を隠す仮面として、世間体として何かしなければ。そしてもうひとつ、ぼくは資金を貯めて再び海を渡ろうと考えていた。渡航自体に意味はすでに無かった。ぼくにとっての"外″は書くことだった。それは間違いなくそうなのだけど、もう、息が詰まって死にそうなのだ。閉じてるのだ。ここが、この国が。空気が、ニンゲンが閉じているのだ。人種だとか民族だとか歴史だとか文化だとか教育だとか経済だとか、理由を探ったって無意味なのだ。閉じてるのだ。ここが、閉じているのだ。嫉妬と悪意のドレイが群れる。善意の閉塞のドレイが群れる。ドレイの自覚のないドレイの群れ。群れてる自覚のないドレイの群れ。隣を覗くな。あなたのことだ。あなたを覗くな。このぼくのことだ。膿が溜まるのだ。すぐにパンパンに。破裂をするのだ。膿をまき散らし。少しずつ膿を垂れ流しながら無難に上手に世の中を渡る? 膿を有効に利用活用し富に変えながらしたたかに生き抜く? その前に膿はあふれ返るのだ。一瞬でパンパン。破裂するのだ。ここが、この国がそうさせるのだ。一瞬でパンパン。閉じているのだ。正しくなくてもそれは真実なのだ。この国は、ここは、閉じているのだ。

 ぼくの再渡航の計画を知り、母の心は再び病み始めた。一度大きく大きく壊れた跡をかろうじてふさいでいたものにヒビが走る。あの暗黒の記憶がよみがえる。鼓動が破れる。血の気が引く。怖い。ぼくを失うまいとする母の心は、母の体を使いそれを実行した。

 ぼくの通帳の預金額が目標の100万円に達し、それを引き出し現金にして大事に家に持ち帰ったまさにその日、母が乳ガンを患っていることが分かった。それから2年半、肺への転移も含め4度の手術の末、母は亡くなった。ぼくは母の入退院、通院、自宅療養の世話などに駆けずり回り暮らした。再渡航は遠いマボロシと消えた。マボロシの日常の中に消えた。

 入院中の母の病室。光の眩しさが忘れられない。白が基調の病室だからじゃない。笑顔と笑い声の眩しい光。毎回違う顔ぶれの同室の患者さんをことごとく明るい笑いの渦に巻き込んでその中心で光り輝いていた母の笑顔が今でも忘れられない。重い病気の人たちばかりなのだ。そのみんなが口々に"こんなに楽しい入院は初めてだ″と言いながら笑い転げている。笑わせている母も、ガンなのだ。"稀有な患者さん″担当医も看護師さんも驚きを隠せずため息を漏らす。そして気づけば自らも進んで笑いの輪に加わり笑っている。みんなが笑う。眩しい病室。照らしていたのは母の笑顔だった。

 ガンの告知後、母は一度たりとも取り乱したりすることがなかった。その衝撃も動揺も恐怖もぼくには決して見せようとはしなかった。この世の両極の太陽の方。その光に包まれて母は逝った。

 え、"母は逝った″?

 まるで他人事じゃん。

 ぼくのせいなのに。

 ぼくが殺したのに。

 

 "犀の角のようにただ独り歩め″?

 

 妻と出会ったのは、母のガンが見つかる少し前だった。市内のガス会社勤務。まじめなご両親。美人4姉妹の次女。温かな、幸せな。交際期間中に母が亡くなり、男二人、父とぼくだけのむさくるしい家に手料理をたずさえ足しげく通い明るい空気を吹き込んでくれた。彼女もまた不安だった。ぼくのせいで。

 結婚したくても不安しかない。家業の自転車店を手伝っているフリ。本気で店を継ぐ気はないらしい。夜な夜な何か書き物をしている。それを仕事にする気もうかがえない。将来の見通しがまるで立たない。収入の当てが想像つかない。優しかったり楽しかったり大きな不満はない。別れる理由はない。でも不安しかない。当たり前の、平凡な、幸せな家庭をこの人とは築けない。結局そのままスルスルユルユル、流れに浮かび流され結婚をした。見切り発車。見る前に跳んでみた。流されただけだ。意志も決意もなく。

 妻、ぼく、父の三人暮らし。妻は仕事を続け、ぼくは自転車店の手伝いのフリを続け夜は執筆。やがて娘が生まれた。おのずとフリーランスのぼくが娘の面倒を見る。最も長く深く娘と関わる。妻は仕事に出る。不満は募る。

 毎日の保育園への送迎から、あれやこれやのお世話、いろんなお遊び。これがなんとも意外に性に合った。几帳面な性格が幸いした。話せるようになってからはまた格別で、あっちこっち楽しく遊び回った。その間に溜まり積もった妻の不満が爆発する日が来るとも知らずに。

 結婚を境に交際中とはあり方も関わり方も大きく変わる。さらに出産を経て女性は変わる。あれだけの大仕事。変わって当然。ホルモンの変化、体質の変化、環境の変化、心境の変化。そのすべてを受け止め理解し思いやり尊重し深く愛し続ける。できる人にはきっとできるのだろう。

 やっぱ怖いのだ、人が変わるのは。人が変わるのだ。別の人なのだ。見たことがない目つきで睨まれる。聞いたことがない大声で怒鳴られる。打ったことがない舌打ちをカマされる。したことがない態度で無視される。ちょっとしたことがくっきりと変わる。物の置き方、持ち方、渡し方。すれ違う時の距離、目線の角度。押し黙る背に落ちる影の体温。何から何まで別人なのだ。元からその感じなら全然いい。人が変わるのが、おっかないのだ。どんと構えて笑って受け入れよう。そういうもんだと笑い飛ばそう。こちらは変わらず愛し続けよう。できる人にはきっとできるのだろう。

 と、ここまではどこにでもある話。結婚あるある。どこにでもあるある。うちの場合はこれにちょっと加わる。ぼくがこんな風。どうしようもない。なぜ自分だけが毎日毎日娘と離され働かなきゃならない? 何もしていない無職の父親が優しいお父さんと呼ばれている。自分だけが苦労させられている。自分には別に生きる道がある。

 娘が5歳の夏、妻が家を出た。離婚ではなく別居という形。深刻な事態ではあるんだけど、ぼくは不思議と軽やかな気分だった。なんだかタレントのゴシップみたい。現実味がない。ワイドショーみたい。娘の世話で飛び回っていることが救いになっていたこともあるけれど、まるで他人事。なるほどこういうことか。なるようになる。まずは娘のお世話。だってさ、あまりにもありきたりなのだ。どこかで見たような、聞いたような話。どこにでもあるある。ありあまっている。それがこのぼくのストーリーなのだ。つまらないのだ。平凡なのだ。他の誰かと交換可能なのだ。価値が無いのだ。魅力が無いのだ。書く意味が無い。ここでやめようか。ぜんぶそうじゃんか、"群れに加われない孤独な少年″?  どこにでもあるある。"優しい父親″? "激しい母親″? "コンプレックス″?  どこにでもあるある。"ヤンチャな情熱″? "彷徨と空虚″? "閃く直感″?  どこにでもあるある。"ニセモノの日常″? "ホンモノの狂気″? ぼくのストーリー、どこにでもあるある。"あんまりないない″ならどうだろう。あんまり聞かない、特殊特別な、珍しいストーリーならどうだろう。それもあるあるなのだ。珍しいものは、"珍しいもの″としてあるあるなのだ。何を書いてもそれはあるあるなのだ。他の誰かと交換可能なのだ。それでも書く意味はあるのだろうか。その真の意味とは何なのだろうか。

 妻にしてみたら人生の一大事。とてつもなく重大な決断。なのに相変わらずぼくが本気で考えるのはそんなことばっかで。妻が出ていくのも当然なのだ。ぼくに分からないのは恋愛だけじゃない。愛が、まるっきし分かっていない。 

 娘、ぼく、父の三人生活。ワイドショー気分はすぐに吹っ飛ぶ。

 

 "99匹の羊より1匹の迷える羊″?

 

 別居を知った父は泣き崩れた。胎児のように丸まり泣き続けた。我慢に我慢に我慢を重ねたそのすべてが爆発し、自壊した。

 帰国後ぼくが大学を辞めて以来それ以前に描いていた未来とのあまりのギャップに途方に暮れて突然バラ色から暗黒に変わった自分の老後に怯え続けてきた。店の経営は時代の波に呑まれ同業者が次々と潰れていく。お嫁さんの収入と合わせてなんとか初孫まで養ってきたけれど、ついに愛想をつかして出ていってしまった。バカ息子を捨てて。すべてが終わった。人との関わり、バランス、世間体を何よりの価値として生きてきた父。無職の、無収入の、寄生虫のぼくを恥ずかしく疎ましく思ってきた父。失望の鬱積が絶望に変わる。父は壊れた。自分を壊した。

 夜を徹し叫び声を上げ続けた。嘆き、悲しみ、バカ息子への憤り。亡くなった母や祖母と会話をした。揺さぶり起こすぼくをキョトンと見つめ返すガラス玉のようなふたつの瞳。理屈に合わない父からの電話に戸惑った人たちが駆けつけてくる。旧友、親類、同業者、警察官。半裸で近隣を徘徊した。部屋のふすまをビリビリにかきむしった。前触れなくどこでも卒倒した。扇風機の首を叩き折った。ぼくが家にいる間中不眠不休でぼくの後を付け回し追い回した。階段を伝い流れる自分の小便を下で待ち受けすくい飲み干した。家中の壁と床を大便の手形と足形でびっしり埋め尽くした。

 認知症の自宅介護。自転車店は廃業。それまでの蓄えと父の年金で小学校へ上がった娘を養い暮らした。今思っても凄絶、地獄絵図。当たり前の日常完全崩壊。朝も昼間も夜も夜中もない。道理も抑制も判断もない。ないはずなのに突然よみがえる。それがぜんぶグチャグチャで押し寄せて来る。確かな日常を信じている人には耐えられない。その人が壊れる。でもぼくの日常は、生活は、マボロシ。だからなんとかかんとか耐えられた。

 4年の月日。不眠も糞尿もすっかり慣れっこになったある日のこと。いつものように風呂の洗い場に父を立たせ漏らした大便をシャワーで洗い流していた時、突如父の肛門を押し開き真紅のゼリーのかたまりがあふれ落ちた。ドボドボキラキラ、まばゆいジュエリー。それが直腸ガンのサインだった。ガンは肝臓にも転移していた。進行の程度、年齢、体調、その他いろいろ考え合わせ手術はしなかった。自宅での療養、最期の日々。半年後に父は亡くなった。

 布団に仰向けに寝た父が目尻から一筋の涙を流していたことがある。父は自分の両手を見つめていた。50年に及ぶ自転車店の仕事で両手の指に深く深く染みついてどれだけ洗っても落ちなかった機械油の黒ズミが消えている。その理由が自分では分からない。自分に何が起きているのか分からない。分からないことさえ分からなくなる。その怖さがぼくには分からない。

 父がぼくへの恨みつらみを吐き出したのは認知症の初期の初期だけだった。その後はぼくに感謝をし続けた。食事を作ってくれてありがとう。体を洗ってくれてありがとう。ひげを剃ってくれてありがとう。医者へ連れていってくれてありがとう。シモの世話をさせてしまって申し訳ない。昼間から寝ていてばかりで申し訳ない。仕事ができなくて申し訳ない。仕事をしなければ。食っていけない。その意味のコテコテの静岡弁でぼくに感謝をし最後は必ず仕事の心配をして起き上がり廃業した店へ向かおうとする父を引き止めた。

 感謝をして、引き止めただろうか。申し訳ないと、引き止めただろうか。ぼくの方こそ感謝するべきなのだ。心の底から申し訳なく思うべきなのだ。心根の優しいまじめな父なのだ。働いて働いてぼくを育ててくれたのだ。その父にぼくが何をしてきたのか。そのことに凍りつき、引き止めただろうか。

 そんなタマならこんなもの書いてない。

 優しく楽しくいろんな遊びに連れていってくれた思い出ばかり。家族だけでなく誰にでも優しくみんなから慕われ愛された父。大抵の人が見て見ぬふりをする世の中の片隅で生きる人たちにも分け隔てなく気さくに声をかけすぐに友だちになれた優しい父。その父を壊し、狂わせ、殺してまで、ぼくが手放そうとしなかったもの。日常より、生活より、父より、はるかに大切だと信じ抜いたもの。それがあるからこうして書いているのだ。書くこととは、そういうことなのだ。

 というストーリーなのだ。

 なのだなのだ。

 

 "思想の値段は勇気の量で決まる″?

 

 妻との別居の後の4年半、24時間救急病棟の日々の中で、それでも時間をやりくりしてどうにかこうにかやり遂げた娘の子育て。ウソ。子育てなんてリッパなものじゃない。育てられたのは親のぼくの方。介護地獄の暴風雨の中で、娘と過ごす眩しい時間の安らぎにどれほど救われたか分からない。2色のソフトクリームみたいな感じ。バニラとチョコのよくあるあの感じ。執筆というコーンの上に渦を巻きたっぷり乗った2色のクリーム。介護のチョコと子育てのバニラ。バニラはバニラ。チョコはチョコじゃない。チョコ色の介護。そのモノの色。その悪臭腐臭を消し飛ばす爽やかなバニラが子育てだった。

 ぼくにとっては甘く清涼なバニラのような子育てだったけど、娘にとってはきっと違ったはず。消化できないことだらけだったはず。保護者の集まりで男性はぼくだけという場面が何度もあった。平日の学校の行事にも顔を出す。放課後の遊びの送迎もやっている。熱心に娘さんの世話をしている。でもなんの仕事をしているのだろう。奥さんがいない。お父さんが病気。複雑な家庭。うちとは違う。娘はぼくに何も言わなかった。ただの一度も不満を言わなかった。ぼくに心配させまいと気を遣ったはず。何を言われてもぜんぶ呑み込んだはず。娘はぼくに似ず運動神経抜群で、勉強もよくできた。友だちも多かった。運動会が毎年楽しみだった。自分の時とは大違い。これが運動会か。母のいない家。じいじは病気。ニンゲンの修羅場。究極の姿。どれだけぼくが隠してもそれを見る。ぜんぶ呑み込み娘は踏ん張った。

 小4でそのじいじが亡くなり、しばらくはふたりでの平穏な日々。いや、正確には娘が3歳の頃から飼っているシーズー犬、アンもいた。ここでやっとそのことを思い出すくらい、別居後の混沌は凄まじかったのだ。そしてその混沌のきっかけ、大本の、別居中の妻から家に戻り三人で暮らしたいという申し出があった。そもそもがぼくへの不満が原因。娘のことは心から愛している。ぼくの存在さえ我慢すればいい。娘と暮らしたい。娘の母として。廃業した自転車店の店舗兼住宅を取り壊し、そこに三人で住むための新居を構えた。小6になった娘との三人暮らし。そしてアン。なんだかとっても幸せそう?

 中2の夏、それまですべてを呑み込んできた娘がついに爆発した。所属するバスケ部でのゴタゴタを引き金にあっという間に女子の不良のトップに登りつめる勢いで。髪は染まりピアスの穴は6つ。授業に出ない。教師とケンカ。保健室、相談室、親の呼び出し。腕には自ら針とインクで刻んだ六芒星とラテン語の詩のタトゥー。リスカの跡が生々しく残る皮膚に直接刺繍をしたボディ・ステッチ。元々の気質、物事を深く受け止め複雑に捉える感性も原因だろう。親の勝手を押しつけられ黙って耐えた特殊な環境も原因だろう。原因は原因。今はとにかく現状をなんとかしなければ、お父さん。何度目かの学校への呼び出し、相談室での話し合いの途中、テーブルの向こうに座っている三人の教師に向かってぼくは言った。"今この人の中で形にならずに暴れている闇を形にして、外へ表現できる、そういう回路をこの人がもし手に入れられたなら、きっと面白いことになる。凄いことになる。先生方もみんな驚くことになる。その回路をこの人が手にできるよう、ぼくもできる限りの手助けをします″呆れてポカン、目が点の三人。夢みたいなこと言ってる場合じゃない。

 現在娘は21歳。ある世界の入り口で闘っている。東京と静岡を半分半分、行ったり来たりしながら闘っている。あの時のあの回路、自分の内の、どんな暗闇も汚泥も見えない裂け目も形にして外へ表現できる、あの回路を自分なりのやり方でしっかりと身に着けそれを武器にして世の中と向き合いすべてと向き合い留まることなく闘い続けている。その闘いの凄まじさにコトバを失う。その生の濃密さに圧倒される。そういう世界で闘う者はどういう十代を生き抜くべきなのか、見せかけやキャラじゃないホンマモンはどれほど苦しむのか、自分自身を切り刻むのか、どれほど思い悩むのか、どれほど思い詰めるのか、どれほどひとりぼっちなのか、どれほど本物の血を流すのか、そしてどれほど鮮烈に強烈に眩しく深く光り輝くのか。ぜんぶ娘が教えてくれました。

 

 それももう終わる。

 時間が無いんだ。

 

 (5)

 

 何も書けてない。何も書けていない。書けた理屈は破綻。正しくはない。

 それなりの時間、それなりの経験を積み重ねてジタバタしてみると、自分にどれだけ意味も価値も無いかが嫌というほどはっきりよく分かる。そのぼくが書くぼくのストーリーだ。意味も価値も無い。無いんだけど、その向こう側の、ぼくの向こう側の、暗闇と擦れ合えるかもしれない。暗闇なのかどうかも分からない、向こう側、ここではない向こう側で、ぼくとは違う誰かと擦れ合いここには無い何かが生み出される。そんな奇跡が起こるかもしれない。だから書くんだ。向こう側へ。外へ。

 

 ぼくは

 ぼくではない

 

 何があってもぼくは書き続けた。その外へ向けて。それを壊すために。うまくいかない現実から逃げ出し渡航の記憶にすがりつきながら、母を殺しながら、父を殺しながら、妻を娘を苦しめ続けながら、そうじゃない生も確かに生きながら、何があってもぼくは書き続けた。

 しつこいんだ あきらめが悪い 負けを認めない 弱っちいくせに タチが悪いんだ 喰らいついたら 前歯無いくせに まだ噛みついてる みんな嗤ってる 呆れ返ってる とっくに見捨ててる よく知ってるよ 関わろうとしない 気味が悪いから 損しそうだから 何もしないのに 何もしないけど 気味が悪いのは 大切なものを 傷つけるからだ みんなが 大切にして生きている まさにそれを 壊してしまうからだ 何もしなくても にじみ出てしまう 書いていることが あふれ出てしまう それを頼りにこれまで生きてきた 大切なものを ぼくが壊すんだ

 ぼくを閉じ込めるものを壊してきた。閉じ込めるものは、ぼくを満たすものだ。満たすものは内。内だから満ちる。満たすものは、内は、虚しいんだ。ぼくを満たすあらゆる"絶対″が、"すべて″が、どうしようもなく虚しいんだ。底が抜けたんだ。世界の底が。その底無しの満ちた世界の外へ。"絶対″の外へ。"すべて″の外へ。ぼくを閉じ込めるものの外へ。外へ。

 ぼくを満たし尽くす、ぼくにとっての"絶対″を壊すことは、ぼくを壊すことだ。ぼくをぼくにする"すべて″を壊すことは、このぼく自身を壊すことだ。そしてぼくを壊すぼくがぼくを満たすなら、その"ぼく″も見つけ出し壊さなければ。ぼくを壊すことでぼくに成っている、その"ぼく″を探し出し壊さなければ。ぼくを壊すぼくを壊さなければ。ぼくを壊すぼくを壊すぼくを壊さなければ。ぼくを壊すぼくを壊すぼくを壊すぼくを壊さなければ。壊さなければ。

 ぼくは壊れている。

 壊れている。

 皆殺しだ。ぼくを満たすもの、"絶対″を、"すべて″を、皆殺しだ。どこに隠れても必ず見つけ出す。ぼくを閉じ込めるものを、皆殺しだ。"渡航″を殺した。"金″を殺した。交わり通う"世の中″を殺した。"本能″を"性欲″を"快楽″を殺した。すべての底を抜く"虚無″を殺した。そして"コトバ″を、"ストーリー″を殺した。武器は"外への衝迫″。そして"唯一″。片っ端から斬り捨て斬り殺す。"絶対″を、"すべて″を、皆殺しだ。

 

 ぼくは

 あなたではない

 

 二種類のウソ。二重のウソ。二つに分けられない、二つのウソ。その二つ目は"唯一″に関わる。

 一つ目のウソについては書いてきた。"伝えられない″と、伝えられる方。コトバを選ぶことで死角となるもの。コトバの意味を確認し合うこと。どちらも限りがない。キリがない。コトバはキリがなく流れゆくもの。どこまで流れてもその先がある。コトバでは確かに"伝えられない″。そのことがこうやって伝えられる。本当は違うけど、一応は。二つ目のウソは、次元が違う。ぜんぶ伝えられるのに、伝わらない。

 もし万が一、ぼくのコトバが、すべての死角も、すべての意味も、ぜんぶ漏れなく正確にあなたに伝えられたとしても、伝わらない。ぼくのコトバはあなたに伝わらない。理由は簡単。ウソみたいに簡単。ぼくがぼくで、あなたがあなただから。ぼくが他の誰でもない唯一のぼくで、あなたが他の誰でもない唯一のあなただから。あのコトバ、"直感″。その意味の隅々までぼくとあなたが徹底的に確認し合い完全完璧に心の底から理解し合えたとしても、ぼくの"直感″とあなたの"直感″は違う。必ず違う。違わなければならない。なぜなら、ぼくが他の誰でもない唯一のぼくで、あなたが他の誰でもない唯一のあなただから。コトバは伝わる。ぜんぶが伝わる。理解し合える。魂が通じ合う。コトバは伝わらない。伝わってはならない。唯一だから。唯一ならば。

 この感覚は、真の感覚は、理屈で説明するのが難しい。ピンと来ない人には一生ピンと来ない。来る人には来る。"直感″の次元。ピンと来る人がそのことについて書く。その異次元の孤独について書く。書かれたコトバのすべてが伝わる。なのに伝わらない。唯一だから。そう書けば書いたコトバは伝わる。すべてが正確に理解をされる。何もかもが隈なく伝えられる。なのに伝わらない。唯一ならば。これまで書いてきた、これから書く、すべてのコトバがその通りなんだ。今書いている、これがそうなんだ。伝わっている。伝わっていない。

 ぼくはその"唯一″さえも殺そうとした。ぼくを閉じ込めるもの、ぼくを満たすものを皆殺しにするための武器だった"唯一″。それは"絶対″。"すべて″。閉じ込める。なら、殺すしかない。外へ。外へ。そして外へ外へとぼくを駆り立てる、"外への衝迫″。殺すしかない。内から外への衝迫を殺すもの。それは外から内へと襲うもの。"内と外″の外。襲って来るもの。外から来るもの。襲って来るもの。

 

 殺して来たんだ 大切なものを 殺して来たんだ 何から何まで

 それが終わる もう 時間が無いんだ

 

 殺して来たんだ 自分自身を 殺して来たんだ 果ての果てまで

 それが終わる もう 時間が無いんだ

 

 殺して来たんだ

 

 殺されるんだ

 

 殺されるんだ 殺されるんだ 殺されるんだ 殺されるんだ

 殺されるんだ 殺されるんだ 殺されるんだ

 

 殺しに行くんだ

 

 殺されながら 殺しに行くんだ

 

 

 英語に訳さなきゃならないんだ

 

 

 

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