深夜特急を読み返してみると「そういえばこんな体験したなぁ」とか「自分もこういう時こんな気持ちだったなぁ」いうような場面に多々でくわす。これは自分に限らず、旅、とりわけアジアの旅の経験のある人に共通に思うことではないだろうか。
インド編で筆者の持ってた空気枕がたちまち子供達のサッカーボールにかわってしまう話しがある。すべてのものは子供達のおもちゃにかわると書かれている。たしかに時に私たちが思いもよらないものが子供のおもちゃになってしまうことがある。
ラダックで仲間数名とお寺めぐりをしていた時のこと。ラダックは高地にありただでさえ空気が薄く、大きな荷物を持って歩くのは大変だ。しかもお寺は大体、丘の上や斜面にありさらに上にのぼらなくてはならなかった。そんな中、仲間のM氏はキャスター付の巨大なバックパックをしょっていてかなりきつそうだった。ある村を訪れた時のこと、やはりお寺は村から上り坂を登ったところにありしんどそうだった。しかしその坂では村の子供達が針金を自転車の車輪くらいの輪にして、その坂を上に向かって転がして遊んでいた。なので村にやってきたM氏のバックパックを子供達が見た瞬間それはバックパックではなくおもちゃに変身。子供達はM氏からバックパックを受け取ると上のお寺まで歓声を上げながら押し上げてしまったのだった。故にM氏は手ぶらでラクラクお寺まで到達することができた。
またやはりラダックのマトゴンパでのことだが、そこは少年僧がたくさんおり、私がバックパックにつけてた番号を合わせて開閉するナンバーロック式の鍵を見つけると、それは彼らにとってパズルかルービックキューブになってしまい、いつまでも飽きずまわしはじめた。
下川裕治氏の本でも「アジアではすべての動力はバスなる」というような話しが出てきたが、所かわれば同じものでも我々が思いもよらない使い方をされるものである。
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