瀬戸内にある犬島。
岡山から連絡船で10分の人口34人だけの小島です。
 
■島の歴史
歴史は深く、
江戸時代以来、御影石の産地として、徳川時代の大阪城や岡山城の築城に出荷されました。
明治になっても石の切り出しは続き、1989年(明治32年)の人口は5000~6000人だったそうです。
 
しかし、明治後半には石をとりつくし枯渇したことから、
民間企業の銅製錬所として、島の産業構造が変わりました。
 
■犬島製錬所の歴史
1909年(明治42年)に地元資本によって建設。
煙害対策や原料輸送の利便性から、倉敷から移転によるものです。
築105年にあたる施設です。

島には繁華街ができるくらい、当時は賑わっていたそうです。

しかし、銅価格の暴落により海外生産の競争にかなわず、
1919年(大正2年)に10年だけで操業を終え閉鎖。(人口は1500人まで減少)
 
その後は、建物だけが放置されていたものを、
昭和末期に解体となるところをなんとか、残そうとの活動があり、
そこにベネッセ資本が入り、跡地を活かした環境配慮美術館が建設。
近代化産業の歴史的遺構に強い意思をデザインした現代建築が合体した、施設と言えます。

100年解体されずに今の時代に残り現代人が目にできることは、離島であったことが幸いしたと言えます。

都市部ではこのようにならずに、別の土地活用が行われていたはずです。

 

◼︎犬島精錬所美術館

犬島に残る銅製錬所の遺構を保存・再生した美術館。

工事前のすがたが模型化されています。

右側煙突前の平地に、長年残った産業遺産と合体させるように、新築されています。

2008年の開業で築16年を経過していますが、強いデザインコンセプトの精神があり経年劣化を感じさせないものがあります。

 

設計は、三分一博志氏。

「在るものを活かし、無いものを創る」というコンセプトのもと作られた美術館は既存の煙突やカラミ煉瓦、太陽や地中熱などの自然エネルギーを利用した環境に負荷を与えない建築。

三島由紀夫をモチーフにした柳幸典の作品が内部に展示され、「遺産、建築、アート、環境」による循環型社会を意識してつくられています。

 

◻︎美術館エントランス

開放的な一般的な美術館がとは趣きが異なる閉鎖的なエントランス。

建物外部には遺構が残され、独特の雰囲気感があります。

火力発電所の存在感と迫力にはすごいものがあります。

従業員宿舎があった高台から。

海岸沿いの塀。

床のレンガブロック。

詳細はこのような感じです。

 

□環境配慮

既存煙突を活かした、

冷暖房なしでの空気循環が行われています。

 

産業遺構と美術館の双方に強い存在感と迫力があり、三分一氏により合体された建築には強いエネルギーを感じます。