三津は、松山の瀬戸内側にある歴史ある港町。
江戸時代から海上貿易や漁業で栄え、松山の「海の玄関口」として地域経済の中心を担っていました。
昭和中期まで栄えた町には、江戸、明治以降の建物が残り、往時の面影を見ることができます。

しかし、産業や交通の変化から、賑わいがなくなり、古民家が壊されていき、現在は散財しながら残る、繁栄した姿がギリギリ残る段階になっています。


■歴史ある通りと町並み
「土壁の残る路地」「旧銀行通り」「旧医者町通り」などと名付けられた通りでは、格子戸の旧名家や明治、大正期の企業や銀行、医院などの建築が残ります。


■三津の渡し
室町時代の1476年、三津浜側にあった市場と対
岸にあった港山(みなとやま)城との食料などの運搬のため、船で結んだことが始まりといわれています。
市営の渡船として、500年を経た現在も、地区住民の生活に欠かせない足となっています。


■河野家住宅


■近藤本家住宅
明治27年ごろ建築で、推定築130~140 年。
初代三津浜町長であった近藤貞次郎氏の邸宅。
間口の広い木造2階建てで、
1階は和風の格子、2階は洋風にデザインされた階高の高い虫籠窓(むしこまど)。


■梶原家住宅
貞次郎氏が昭和15 年、近藤本家の敷地裏に隠居所を建て建てたもの。

出格子には、珍しい七五三庇が設けられています。(七寸、五寸、三寸の勾配に変えた庇の屋根板)


■近藤分家住宅
左入り口の玄関塀が二階レベルまであり、正面からは二階外壁のように見える珍しいつくり。


■旧家建築に共通する特徴
特徴として、
・玄関が2箇所(客用と家族用)
・居室天井が高い
・床の間周りの形状(書院、違いだな下には畳)
・立派な欄間
・防火の観点から2階軒下の両端に卯建(うだつ)が設けられている。

※旧鈴木家住宅(現在は、旧鈴木邸CHAYA)


※森家住宅(現在は、鯛メシ専門 鯛や)


地元の方々とお話ししてみると
三津への外来者から見ると高い価値なのに、
三津の方々には普通に見てきたために、その価値に気づかずにおられるように感じます。

その結果、古くなり、劣化し、建物利用する人がいなくなれば、壊され今に至っているように感じます。

■大正期の企業建築
大正時代の企業の繁栄を伝える建築、石崎汽船旧本社ビルと山谷社屋が向かい合って建っています。
両建物とも、大正の埋め立て時に建設された、竣工大正13年(1924年)で築99年。


□石崎汽船旧本社ビル
船舶の出入りを見渡せる場所に建築された石崎汽船旧本社ビル。
設計は愛媛県庁や重要文化財の萬翠荘を手掛けた建築家・木子七郎。
萬翠荘の3年後に建てられたのがこの石崎汽船旧本社ビルです。
鉄筋コンクリート2階建て。外壁タイルは、萬翠荘と同じタイルだそうです。
三津浜港の歴史を伝える文化遺産でもあります。


□山谷社屋
木像建築ですが、外装は鉄筋コンクリートの柱のようなデザイン。
向かいの石崎汽船旧本社ビルとの調和を意識されたのでしょうか?
当時の建築主、また棟梁の思いが聞こえるように感じます。