閑谷学校は江戸時代前期の1670年に岡山藩主池田光政によって創建された、庶民のためにつくった学校で、現存する世界最古の公立学校です。
創設から350年近くたち、今なお現役施設として活用されています。

庶民の学校ですが、
ひとつひとつが、備前焼瓦の屋根を特徴とした重厚、深みある建物です。
光政が学びの場を岡山藩の子供たちに届け、また学校を将来に残そうとした強い意思を感じるものです。

■校門(重要文化財)

1686年の造営で、築約330年。
棟には天守のような鯱鉾が、火事の守り神として取り付けられています。
両脇に花頭窓のある付属屋があり、儒教を教えていたからでしょうか、中国の建築様式を模しています。

この正門前に立ち、門をくぐることで、学問に対する気持ちの切り替えになったことと思います。


■講堂(国宝)
閑谷学校の中心施設で、象徴的建築。
入母屋造の大屋根が社寺風です。
1677年の新築時は茅葺き。
それを光政の息子が備前焼瓦に改修。
見栄えもかなり変わったものと思われ、光政の思いをさらに継承されたことを思います。
1701年完成、築320年です。

内部は4面が花頭窓。屋根と合わせた壮重な独特の外観を感じます。

拭き漆の床は生徒たちによってよく磨かれてきたそうで、花頭窓から入る光がやわらかく反射されています。

大空間ですが写真のように、照明器具がなくても明るいものとなっています。


■聖廟(せいびょう)(重要文化財)
論語を学ぶ閑谷学校で孔子が祀られています。
校門の真正面、中央の一番高い所に設けられ、最も重要な建物と位置付けられています。
階段両脇には、「学問の木」として、楷の木(かいのき)が。
中国山東省曲阜の孔林から種子を持ち帰り苗に育てられたそうです。


■閑谷神社(重要文化財)
1684年完成、築340年。
聖廟より少し低い位置に神社が設けられ、孔子を上位にしていることを示しています。

創始者、池田光政が祀られています。

江戸時代は階級制度の時代。
庶民の学校は普通でなかったため、
光政亡き後も、閑谷学校が壊されず残していく意味合の神社でもあったそうです。
池田家にて、光政の思いを継続させようとした意思を感じます。
その思いが、明治以降の岡山県民にも引き継がれ、江戸初期のまま現代に残されているように思います。
本殿内には御神体として光政の座像が安置さています。


■文庫(重要文化財)
閑谷学校の教科書・参考書をおさめた書庫で、
漆喰塗の蔵。

■火除山(ひよけやま)
岡をつくり、居住地エリアね火災時に火が回らないように防火目的でつくられた人工の山である。

■石塀(せきへい)(重要文化財)
丸みある積み上げ、ぴったりと敷き詰められた石垣。
外部からは高さ2.1m塀で中が見えませんが、
内側からは外がよく見え、開放的、のびのびとしたつくり。
学校全体を取り囲む765mにも及ぶ石塀は、備前焼瓦と並んで、旧閑谷学校に独特の景観を生み出しています。


■ 泮池(はんち)

暗渠に出した水うけ
中国上代の諸候の学校である頖宮(はんきゅう)の制に擬してつくられたもので、
石橋も重要文化財に指定されています。

■備前焼瓦

閑谷学校の特徴である備前焼瓦。地域の名産を建築に応用した、高級瓦。製作も大変だったものと思います。

焼き物のため変形しやすく、隙間ができて漏水から瓦下に水がまわるため、水抜きを設ける工夫がされいます。すごい施工技術です。
資料館にてそれを分かりやすく説明された展示がありました。



備前焼の茶色に加えて、

漆喰壁の白、木、そして周辺緑の4色から構成される閑谷学校は、とても気持ちが和む教育環境。
自然系の建材は時間を重ねると深みを感じることを思うものでもありました。