八竹庵(旧川崎家住宅)は、
京都新町通りにあり、祇園祭には山鉾が立ち並ぶ江戸期からの中心地。
大正15年(1926年)に、豪商「井上利助」により建てられた京町家です。
和を貴重として、当時の流行を取り入れた和洋折衷洋住宅で、京都市指定有形文化財に指定されています。
京都での一等地のため、周辺はビル、ホテル、マンション。
この文化財を残そうとされた現建物所有者の思いもあって、今目にすることができます。

■今に至る経緯
□大正15年(1926年) 竣工(築後現在96年)
豪商 井上利助が住宅兼商談の場として新築。
建物設計には武田五一、茶室は数寄屋造りの名工上坂浅次郎によるもの。

□昭和40年(1965年)(当時築後39年)
呉服商 川崎家の住宅兼迎賓館に。 
道路側外壁が2m後退しているのは、このとき駐車場を設置するためだったそうです。

□令和4年(2022年)
当京町家を継承し残していくために、くろちくさんが施設所有者に。
代表黒竹さんのご先祖が大工方として参与していたこともご縁だったそうです。
 
■開放的な間取り
日本住宅には、「ハレとケ」が特徴ですが、明るいハレを中心としたつくりの住宅。
賓客を迎える部屋として利用していた客間は、
前庭と後庭に囲まれた明るく開放的な部屋。
◇奥庭側
◇手間庭側
書院づくりの床の間
欄間は日本画家「竹内栖鳳」の作。

建具ははめ殺しガラス。珍しいデザインです。
網代が使われている建具もあります。

■外壁スクラッチタイル
竣工3年前の大正12年に完成した帝国ホテルの外壁スクラッチタイルが当時流行していました。八竹庵の祇園祭山鉾の物見台に使われています。
瓦屋根上に突如現れるスクラッチタイルの外壁。
武田五一のデザインでしょうか、この建材を使って見たかったのだろうか、と推測します。

明治から大正以降、部屋をつなぐ中廊下を通す洋風住宅のスタイルができ、畳の廊下としてつくられています。

■茶室
上坂浅次郎による数奇屋茶室。
内部アプローチにトップライトが設けられ、粋です。
前庭見える長4畳の小間。北山杉の柱が立ち雲雀棚が特徴。

■2F 洋間サロン
大正時代の贅を尽くした20帖の洋間。暖炉・シャンデリア・寄木細工の床など絢爛豪華な造りです。
ステンドグラスとまわりの和洋折衷もきれいです。

■ 蔵
蔵への入り口は、母屋からの屋内通路。
内部は畳の大部屋。
珍しい構成です。
大正の竣工時から、このすがただったとのこと。

都心一等地にある町家は、経済論理では維持保全が成り立たず、解体撤去されビル、マンションなどに多くは建て替えられてきました。
八竹庵は、現オーナーのご意思により運よく残されましたが、このような事例ばかりが続くものではなく、歴史的建築の大きな課題だと改めて思います。

※一般見学もできます。