鞆の浦、
福山駅からバスで30分、瀬戸内海の景勝地です。
波穏やかな瀬戸の海に仙酔島や弁天島がぽっかりと浮かぶのどかな風景には心洗われます。
万葉集以降、様々な歴史の舞台になり、また江戸時代の町並みを残しています。
各時代に深みあるできごとがある歴史の流れには、吉野と重なるものがあります。
戦災にあわず、開発の影響を受けず、今、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)制度に守られながら、町が生き残っていることは、日本にとっても幸せなことだと思います。
日本遺産、重伝建、ユネスコ「世界の記憶」の3つの評価を受けている価値ある町です。
□ 万葉集
古くから潮待ちの港として栄え、万葉集にも詠まれています。
□足利義昭が過ごしたまち
室町幕府最後の将軍足利義昭が織田信長によって京を追われ鞆の浦で、毛利庇護のもと「鞆幕府」を置こうとした、その足跡。
□江戸時代の貿易拠点
江戸時代には北前船の寄港地として栄え、朝鮮通信使も幕府の慶賀などのために度々寄港。
福禅寺が迎賓の場所として使われました。
□ 福禅寺対潮楼(たいちょうろう)
福禅寺が、江戸時代に朝鮮通信使を受け入れるために増築したもの。
座敷からは瀬戸内海の絶景が広がり、額縁状に切りとった景色は絶景。
日本建築に見られる手法です。
朝鮮通信使の従事官が語った「日東第一形勝」(対馬より東で一番美しい景い勝地という意)が額縁にあります。
サザエさんにも登場しています。
□太田家住宅(旧中村家住宅)
江戸時代の保命酒を独占して商売した中村家の住宅。
保命酒は福山藩から幕府へ献上されていたそうです。
商家であり幕末に京都の公家も滞在した住宅は贅を尽くしたもの。
土間エントランス床は、瓦と漆喰。
モダン建築のタイルのようです。
土間は網代天井。
太田家が所有、重要文化財として、今も所有されているそうです。
□坂本龍馬が滞在
1867年、坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と、紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海の六島沖で衝突し、いろは丸は沈没。
いろは丸事件の際、龍馬たち海援隊は商家の桝屋清右衛門宅を、紀州藩は円福寺を宿舎として利用し、魚屋萬蔵宅と対潮楼で談判を行った。
この商家、寺院などがそのまま残っています。
龍馬が生活した商家と隠し部屋。
よく残されたものと思います。