京都の詩仙堂、とてもきれいな名称で、その名の通の寺院です。

江戸時代初期の文人・石川丈山(じょうざん)が晩年につくり、居住した住居。

私邸を、昭和36年に禅宗(曹洞宗大本山永平寺の末寺)に入る過程を経て、今に至っています。

庭園は、石川丈山が自ら作庭されたとのこと。
無鄰菴を作庭した山縣有朋も足を運んだのでしょうか?

お堂南の白砂は、明るい部屋を明るく照らします。
禅宗寺院で、ツツジに囲まれた白砂の庭園はあまり見かけないものだと思います。 

狩野探幽が描いた中国の漢晋唐宋時代の詩人三十六人の肖像画。
丈山の交遊関係の深さを知るものです。
(現在の展示はレプリカです)

四方の壁に掲げた”詩仙の間”を中心としていることから、現在は「詩仙堂」と呼ばれているそうです。


詩仙堂は、正しくは「凹凸窠(おうとつか)」と呼ばれ、でこぼこした土地に建てた住居という意味だそうです。

新緑がきれいなこの時期です。
奥野の庭を歩くと、
洋風庭園のような作庭がされています。

正面入口の小さな門は「小有洞(しょうゆうどう)」。

石段を登ると、中門「老梅関」があり、そこをくぐると詩仙堂の建物に入っていきます。