東本願寺、真宗大谷派 約9,000ヶ寺の本山。
京都駅から少し歩くと、大規模な木造建築を目にします。
1602年に家康の意向で創建されましたが、幾度かの焼失、
そして、江戸末期には蛤御門の変で焼かれた歴史があります。
このため、現在目にする大半は、明治時代の建築。
当時の建物が残っていれば、西本願寺とならび、世界遺産だっただろうと思います。
御影堂門、御影堂、阿弥陀堂は、尾張棟梁の伊藤平左衛門(いとう へいざえもん)によりつくられています。
何年か前に、登録有形文化財から重要文化財に指定されています。
■御影堂門[重要文化財]
烏丸通から入って、まず目にする建物。
山門とは言わないそうです。
組み物がとてもきれいで、京都らしさを感じます。
楼門から東山の景色も普段見れない風景です。
長浜別院大通寺は、江戸時代の御影堂門を忠実に再現したそうで、
いちど見てみたいものです。
■阿弥陀堂[重要文化財]
阿弥陀さん(阿弥陀如来像)がおられる、本堂。
内陣はまぶしい金色。浄土の世界を金色で表現とのことです。
■宮御殿(みやごてん)
旧大宮御所が明治時代に移築されたもの。
北海道への普及等の貢献から、朝廷から受け継いだそうです。
御影堂側は、火災がうつらないように、
庭園にはおおきく土が盛られ、壁のようになっています。
御影堂をバックにした庭園が絵になります。
畳縁は朱色。
屋根瓦にも、菊の御紋が。
■能舞台
能の奉納も行われてきたそうです。
左に能舞台。とてもきれいなアングルです。
■白書院
門徒等の来賓を接待する場で、
明治築ですが、江戸時代のつくり。
一の間、二の間、三の間から構成されています。
一の間は、一番の各式で折り上げ格天井に書院づくり。
障壁画が映えます。
■大寝殿
1867年に上棟され、焼失後最初に建てられた施設。
対面所や広間の場として、書院造りで建てられ、後方には、竹内栖鳳が描いた障壁画がガラス越しに一直線に並んでいます。
■阿弥陀堂門[重要文化財]、菊門
一国一城令で、二条城を建てるため壊された伏見城の遺構だそうです。
伏見城の遺構を、京都などで見かける理由も分かりました。
阿弥陀堂門は、改修工事中。
菊門はかなり劣化が進んでいます。
◇菊門
◇阿弥陀堂門
■本願寺前広場
前面道路が歩道に改修され、緑地と一体となった広場の工事が進められています。
来年完成のようで、京都駅界隈の風景がまた変わりそうで、楽しみです。