四君子苑(しくんしえん)、京都御所と鴨川の間にある昭和の数奇屋建築。


吉野山林地主であり茶人だった北村謹次郎氏が建てた茶室と旧邸宅で、建主とつくり手の思いと美意識が集結した、見応えある建築と庭園です。

内部写真はNGですので、以下出典記載ない写真は書籍「四君子苑 」からです。


■茶室
京数寄屋の名棟梁と謳われた北村捨次郎の晩年の作品で、昭和15年着工、昭和19年(1944年)に完成。築80年近くになります。
苗字は同じ北村ですが、血縁でないそうです。

内装には、銘木が各所に取り入れられています。
林業の家に生まれた育った北村のこだわりに加えて、
先の明日が見えない戦時だから、材木商も手持ちの木材を供給し入手できたそうです。
その中、両北村が会話しながら、木を選び決めていったとのこと。その会話を聞いてみたいものです。

■母屋(旧宅)
吉田五十八の設計により、建て替えられ昭和38年(1963年)完成。築60年近くになります。

当初の母屋は、茶室と一緒に昭和19年に建てられましたが、戦後GHQが接収。完成から間もない時期で北村の居住期間はわずかだったことになります。
GHQは、バーなどに改造し、北村に返還されたときは、ペンキなどか上塗りされたものだったそうです。

そのためでしょうか、建て替えを決められ、
ご縁あった吉田五十八に設計をお願いされたそうです。
当時、大建築家だった吉田が受諾した理由は、北村の住まい方が美しかったからとのこと。
両者ならではの、美意識を感じます。
設計にあたり、10年年上のこともあり、北村は吉田に設計をお任せしたとのこと。

鉄筋コンクリート造(RC造)平屋建の近代数寄屋建築。
RC造だから控え柱なく、庭園に向けた大きな開口部が設けられ、庭園、茶室をのぞむことができています。

和室は天井までの大きな障子など、数奇屋とモダニズムが美しく融合した住居です。
※写真は「文化遺産オンライン」HPから

■北村謹次郎の言葉より
どれだけこだわってつくったか、北村の思いが分かる言葉が残っています。
「工事中は暇さえあれば、いつも工事場に出てあれこれ指図するのが、何よりの楽しみでした」
「一分二分の柱の太さや鴨居の厚さの違いが、私は非常に気になるんです。だいぶ直しましたが、直せんところもありますしね。まあ、気にしだしたらきりあらしまへん。」

■運営とこれからについて
現在は財団による運営で、入場料だけでは維持が賄えず、資金を切り崩しながら運営されているそうです。
民間所有文化財の共通課題が、四君子苑を運営される財団さんにもお持ちでした。


国登録有形文化財には、平成13年に茶室が指定され、旧邸宅は令和2年に追加の指定を受けています。
見ても見ても見飽きない建築。
ゆくゆくは、重要文化財になり得る、それだけの価値を感じる四君子苑でした。