京都南禅寺界隈に、大別荘が静かに残されています。
明治中頃から政財界の名士たちがこぞって建てたもので、現在15軒ほどが残され「南禅寺界隈別荘群」と呼ばれています。
そのひとつの對龍山荘(たいりゅうさんそう)をたずねました。
對龍山荘は、塔頭(塔頭)跡地につくられた、東山を借景とした広大な庭園。
池や流れ、滝石組などが繊細に計算された庭づくりが行われています。
国の名勝指定されています。
私有施設のため内部写真の公開NGですので、以下写真は施設管理される植彌加藤造園HPから抜群します(※)
歴史は、
に明治29~32年(1896~1899)にかけて、大成建設創始者(伊集院兼常氏)の別荘として造営されました。約120年前です。
伊集院氏の所有期間は短く、
その後、呉服商の市田弥一郎氏が譲り受け明治34~38年(1901~1905)に改修し完成されました。
これが現在の庭園や建物の原形となっています。
庭園は、伊集院氏が作庭したものを基に七代目小川治兵衛(植治)が作り直したもの。庭園と一体となった建築は、当代随一といわれた大工の島田藤吉の建てたものです。
庭は木を低く抑えて東山を借景として取り込み、滝から流れ込む水は川となって流れ去ります。
對龍山荘全体が東山の自然の中に違和感なく置かれ、庭園と建物が一体となったつくりとなっています。
建物内に入ると各所に、庭園へのみえがかりの工夫が見られます。
小川治兵衛と島田藤吉がどのような会話をして、またそれをどのように反映したのか、記録にはありませんが、とても興味深いものです。
現在は、企業のニトリさんが所有され、この歴史的資産を未来へ繋ぐ強い意志を持たれて、維持活用されています。
内部の私設美術館には、コレクションが展示されています。
50年、100年単位の時間を重ねると、民間建築では建築主が代替わりして、売買等により所有者が変わることが多く見られます。
新築時の建築主から縁もゆかりもない方が所有となったとき、その方の琴線を動かし、大切にしたいと思わせるものが、今に残る建築。
對龍山荘がまさにそれで、時代を超えて残される建築に共通するものが、ここにも見られます。