首里城は好きな城のひとつです。
10年ほど前に訪問した機会がありました。

再建まもない瑞々しさがありながら、
琉球文化を感じる、
朱色の色鮮やかな天守が美しく、
とても強い印象が残っています。
(写真はウィキペディアより)


その首里城が焼失した特集したテレビ番組がありました。

たくさんの伝統建築を見てまわっていて、歴史書をみて、

火災で焼失した、
関東大震災で倒壊した、
戦争の空襲で焼失した、

との記録がでてきます。
文字にするとこれだけで、さらっと読み流してしまいがちです。


しかし、
ひとつの焼失した伝統建築には、

建設時の思い、
存在していたときの思い、
なくなった後の喪失感、
再建への強い願い、

が、あることに気づきます。


戦災前の首里城を知る年配の男性は、
「首里城は心のよりどころ」

(戦前の首里城)

近くの首里高校の女子生徒は、
「毎日当たり前のように見ていたものが、突然なくなってしまった」

近くで働く女性は、
「なくなってはじめて大切さが分かった。」

75才の女性は、
「生きている間にもう一度、首里城を見たい」

戦後、門再建に関わった男性は、
「柱を運んだ思い出がある」


再建への課題は、
資金はもちろんのこと、
材料の確保。

赤瓦は沖縄の限られた場所でしかとれなく、
20万枚の瓦が必要だそうです。

過去の建築もこのようなことを乗り越えて、
今に至っていることを、思います。

首里城が、三たび沖縄に生まれることを改めて願い、もう一度僕もこの目で見たい思いです。