日本の國語假名文字論者の論據の一に、國語の負擔を減らす、といふものがあつた。あれはどういふ根據に本づいたものなのだらう。


表音文字を國語に使用してゐる歐羅巴諸国の多くは、基礎教育に於る國語の授業時間はだいたい日本の倍である。かうした事實をもとに推論すれば、結論は逆になるのではないか。


つまり國語の假名文字化を推進する事により、國語の負擔は倍化する。能く考へていただきたい。漢字假名交り文を假名だけで書いても普通は意味が通じない。


古典の假名文學も漢字假名交り文で書かれてゐるのであつて、假名文字だけで書かれた假名文學など存在しない。


實際、假名だけで書かれた文を讀むでも、何處までが名飼で何處から助詞や動詞なのか判然としない。だからといつて、膠著語である日本語を歐米語のやうに分ち書きするのが合理的とも想へない。


假名文字だけの文章は讀むだけでも漢字假名交り文の倍以上の時間を要するだらう。つまり、假名書きだけの文章は國語の負擔を増大させるのだ。


かうした事態に對應するためには、歐米語のやうに正書法を嚴密にさだめ、國語教育の授業時間を倍増して教へ込むしかない。


こんなことは、少し現實を調査すれば誰でも分ることだ、それとも別に國語の假名文字化が國語の負擔を減らす根據があるなら、是非、御教示いただきたい。