こんにちはニコニコ



息子が不登校になって

それまでの価値観をひっくり返さなければ

なりませんでした。不登校前や不登校初期は

学校に行かないなんてありえないと

思っていたので、学校に行かない息子を

受け入れられませんでした。



それでも、私がどんな価値観であろうと

息子が学校に行かないという現実は

変わりませんでした。だから、私自身の

価値観を変えるしかありませんでした。

そうしないと目の前の学校に行かない

息子の存在を否定しなければ

ならないからです。



学校なんて絶対行かなければならない

ものではないと思うようになりました。

思い込もうとしました。

学校に行かなくても幸せに生きている人を

見つけて、息子も大丈夫だと信じようと

しました。



頭ではわかっていても、心から大丈夫だと

思えるまでには時間がかかりました。

学校に通っていれば、先の予測が

できます。高校、大学、就職というように。

でも、息子の未来は何も見えなかったので

絶対大丈夫とは思えませんでした。

今となっては、先の予測ができたところで

それで大丈夫だなんてただの幻想だって

わかるんですけどね。

当時は先が見えるということが

安心材料でした。



不登校になって、息子が苦しんでいる

真っ最中でしたが、ある時、

ペットを撫でながら穏やかな顔で

微笑んでいる息子がいました。

その時、笑顔でいてくれるだけで十分だ

と心から思いました。苦しそうにして

学校に行くよりも、家で笑顔でいてくれる

ほうがよっぽど幸せだと思いました。

その時にやっと、本気でそのままで

いいと思えたと思います。



それまではちゃんと学校に通っている息子

ちゃんと勉強する息子、ちゃんとした

生活のできる息子、などいつも条件付きで

息子を見ていたと思います。

ちゃんとできる息子に育てることが

親の義務だと思っていました。

何も条件の付かないそのままの息子を

見ることはありませんでした。



条件付きの息子しか見れなかったのは

息子に幸せになってほしいという

愛情からだったのですが、

いつのまにか条件にばかり

目が向いていたと思います。



生まれた時と同じように

無条件で息子を受け入れていたとは

言えません。ほとんどの人がそうだと

思いますけどね。

大きくなるにつれて、だんだんと

子どもに対する条件が増えてきて

いろんな条件を付けていたと思います。

学校に行くということもそうです。



子どもの不登校や、子どもが生死に関わる

大きな病気や怪我を経験した親にしか

わからないのかもしれません。

心の底から、生きているだけ

笑ってくれているだけで十分だと

思えるのは。



不登校をダメなことだと言う人は

まだまだたくさんいると思います。

直接言わなくても学校に行ける子は

頑張っているとか、学校に行けない子は

かわいそうだとか。

そう思っている人は

おそらく条件付きでしか子どもを

受け入れられていないと思います。

条件付きの我が子が当たり前だと

思っているからです。



私もそうだったので、

息子が不登校になって学校に行かない

息子を受け入れられず苦しんだと

いうことです。学校に行けない息子が

情けなかったし、かわいそうだと

思いました。



当たり前だと思うことは、子どもが

大きくなればなるほど増えてきて

学校に行く我が子、勉強する我が子、

もっと大きくなれば働く我が子、

そういう〇〇する我が子が当たり前で

何の修飾語もないそのままの我が子を

認められないんですよね。



不登校の我が子、働かない我が子を

いきなりそのまま受け入れられる人は

なかなかいません。



ですが、不登校の我が子を持って

だんだんとそのままの我が子を

受け入れられるようになりました。

今は息子が不登校だろうが学校に行こうが

働こうが無職だろうが、何も条件なく

息子を受け入れられると思います。



平然といられるかはわかりませんが

不登校だからとか無職だからとかで

我が子の価値はまったく変わりません。

ただ生きて笑顔でいてくれることが

いちばん幸せです。



〇〇中学、〇〇高校、〇〇大学の我が子、

大人になっても〇〇社で働く我が子

じゃないと受け入れられないという人は

たぶんたくさんいると思います。

いつのまにか子どもを受け入れるのに

たくさんの条件を付けているんですよね。



息子が不登校にならなかったら

今でもずっと条件付きの息子しか

認められなかったと思います。

不登校は苦しかったけれど

何の飾りもないそのままの息子を

心の底から受け入れられるようになって

本当によかったです。