こんにちはニコニコ



息子は進学校で不登校、

その後通信制高校に転校、

再び不登校になってます。



最近は息子にあまり変化が

ないので、息子のことで悩む

ことはあまりありません。



私のメンタルはもうほとんど

通常通りです。

たまにメンタルが下がるのは

だれかに息子のことを聞かれるのは

嫌だなぁと思う時です。



私自身があまり外に出ないので

息子のことを知っているだれかに

会うこともほとんどないのですが、

それでもだれかに会ったら嫌だなぁと

思うだけで、なんとなくモヤモヤした

気持ちになります。



不登校であることは受け入れて

いますし、以前のように

学校に通っている他の高校生を

見かけても落ち込んだりは

しないのですが、

やっぱり息子が不登校だと

いうことを言いたくない気持ちは

なくなりません。



でも、これは私がそう感じるのが

悪いわけではなくて、

社会的にまだ不登校が受け入れられて

ないからなんだと思います。



私がどれだけ息子の生き方を

肯定しても、社会的に不登校を

肯定するようになるのは

まだまだ先なんだろうなと

思います。

だから、仕方がない真顔



この辺は私がまだまだ

他人軸から抜け出せていない証拠で

私の弱さなんだと思います。

人からどう思われようとかまわない

とまではまだ完全には思えません泣くうさぎ



でも私が息子の現状を受け入れてない

わけではないということを

改めて自分で確認しておこうと

思いますニコニコ

ここはポジティブに。



で、息子のほうのメンタルは

というと、見る限りは

いたって普通です。

ふつうに会話するし元気です。

友だちとも遊びます。

(主にオンラインゲーム)



ただ、外に出る機会が

カウンセリングと

たまに行く病院、散髪ぐらいしか

ないので、学校のような知らない人が

いっぱいいる場所に

行けるほどのメンタルはないのかな

という気もします。



私から見れば

あとはもう勇気を出して

外に出ていくだけのような

気がします。



アドラー心理学では、

トラウマというものはない、

ということで、トラウマは

自分の都合のいいように

言い訳できるように

自分で作っているものだそうです。



それが本当なら

学校に行けないのはトラウマ

じゃなくて、学校に行ったら

また傷つくんじゃないかと恐れて

初めから学校に行くことを諦めている

だけってことになります。



アドラー心理学については

「嫌われる勇気」という本で

やさしく説明してくれています。

機会があれば、この本についても

書いてみたいと思います。



トラウマのある人を絶望させるもの

じゃなくて、もっと希望のある話ですニコニコ



私から息子を見た感じ、

もう元気だし、勇気がないだけ

に見えます。

でも、だからといって、

息子にそれを言っても意味がない

だろうし、かえって親子関係が

悪くなるだけだと思います。

自分で気づくしかないん

だろうな。



本当は心理学の本とか

自己啓発本とか読んでほしいと思う

けれど、それも無理やりできること

でもないし、やっぱり待つしか

ないんでしょうね。



自分では以前よりは

課題の分離はできるように

なってきたと思っていますが、

分離すればするほど待つしかないって

いう結論になるので長いです…。

長いと感じること自体が

分離できていない証拠かも

しれませんけどね笑い泣き



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