「私は少年時代から不思議に思っていることが、いくつもあるが、そのなかで、もっとも不思議に思うことは、国家と国家との間に、もっとも文化とかけはなれた行動があるということである。
 もっと、くわしくいえば、あらゆる文化国の人々が、礼儀の上でも、ことばづかいでも、態度でも、実によく文化的に訓練され、教育されている。このように、個人と個人との間の生活は、価値と認識において、文化的であるにかかわらず、この形式は、国家と国家との間における外交にかんしては、表面が文化的であっても、その奥は実力行使がくりかえされている。
 一旦、外交が断絶されると、礼儀や習慣を捨てて、修羅の巷となるのが、国家間の状態ではなかったろうか。これを端的にいうならば、国家と国家の間には、実力以外何ものもない野蕃人の生活がくりかえされてきたのではないだろうか。その姿はイソップ物語を、そのまま国家間の闘争にうつしたと同じであった。
 より高い文化、より高い科学は、より強き国家、より強き民族の力となり、しかして、いままでの状態は、総力を国家間の闘争に集中された時期があったが、これでは平和に逆行する以外の何ものもない。人類の日常生活に科学が進めば進むほど、人間の横暴が強くなり、文化が進めば進むほど、人間は憍慢を強めてきた。科学の進歩も、文化の発展も、人類の横暴、憍慢、嫉妬、卑屈を、ますます強盛にしてきた結果になっていないであろうか」(戸田城聖全集)