この晩夏の店頭での米薄は不 可思議というか、なんだか夢のなかの感がある。革命といった慌ただしさはなく、いわば静かな革命だ。農家も農水も「供給量も需要量も変わりない」といい、店頭からあっという間に米が消えていまだ戻らない。
真綿で首を絞めるような、いや、いつの間にか潮が引いていくような感である。様々な事情が一時に重なった結果で、また秋には戻るに違いないが、それでも変化というものの本質を感じさせる事象である。
以前、何かのCMでイチロー選手の「変わらなきゃも変わらなきゃ」とのセリフが話題となったこともあったが、革命家気取りで変革の気炎を上げて気張らずとも、真に変わるときは、いつの間にか自然に変わっているものなのかもしれない。
それは、何に由来するかといえば、全体でも部分でもなく、一つ一つ一人一人の小さな変化の連鎖に違いない。誰かがふとした理由からいつもの倍ほどの米を買えば、受給バランス均衡していればなお、一時的に不足(品薄)となることは自然の理である。