台風一過、晴天の暑い一日でしたが、吹く風と肌に感じられる季節はもう秋ですね。今年の8月は例年になく、悲喜こもごもが満載の感慨深い一月であったとしみじみと感じます。
8月も終わり、明日から何かが変わるわけでもないでしょうが、何かの節目であるようです。学生は始業を迎える人も多いでしょうが、一月前とは何も変わらない一面と、また何かしら大きく変わる一面があります。
変わるのはむしろ心の方かもしれません。善きことは変らず、そしてどうせ変わる心ならば、(悪しきことはなく)善き方向に変わることだけ考えたいものです。ついつい秋の気配が感じられると、漂泊の詩心が湧くようです。
不易流行、いく先は遠く道のりは長いのだから、一時のことに心をとらわれず、流れゆく先の未来は楽観視してケセラセラと生きてゆくことも大事です。誰にも明日のことは分からないのだから、せめて自分くらいは善きように考えてもいい。
どんなときでも、その考えは容易には変えない。楽観主義とは信念です。「いにしえの/奇しき縁に/仕えしを/人は変われど われは変わらじ」とは私の好きな句です。
一見して善きように思いても、また悪しきように思いても、人や物事との出会いは、奇しき縁によるもので、もちろん縁には浅深もあるでしょうが、春夏秋冬の人生を振り返れば意味のないことはないように思います。
「仕える」とは古風な言い方ではありますが、「人生は劇のごとく」といった西欧の哲学者がいたかと思いますが、人生は様々なものに「仕えている」と思うくらいで丁度いいのではないでしょうか。「仕える」というは、けして強制ではなく自分の意志です。
ましてや「奇しき縁に」仕えているのだから、目の前の現実(人やモノ)にではないのです。そう感じられれば、腹も立たず、少しは穏やかに日々を過ごせるのではないでしょうか。それらのことが、振り替えてみれば、ちゃんと人生の春夏秋冬を彩っているということにはならないでしょうか。
秋の気配にそんなことを感じています。