今さらながら、「骨折り損の草臥れ儲け」とのことわざに触れ、
「ああ、『くたびれ』って『草臥れ』って書くんだ」と、
何か(誰もが知る)意味とは違った印象を受けて、
我ながら新鮮な驚きが感じられた。

そういえば故郷で学校に通っていたころは「くたびれたぁ~」と、よく聞いたような(何だか方言にも感じられる)懐かしい響きのある言葉だ。
そんな思いで、この漢字「草臥れ」をみたとき、「労多くして、功少なし」と訳したのでは、何だかもったいないような気がした。それなら「どう訳す?」といわれても困るのだが…。

ただ「功」というのは必ずしも一様ではないということだ。
故郷で聞いていた「くたびれたぁ~」とはけして、「損した」ということでないし、単に「疲れたぁ~」ということでもない。
精一杯汗をながした労はけしてムダではなく、必ずそれが報われるときがくる。

それがホントかどうかというよりも、それを信じているかどうかにある。くたびれて、草原に臥したときに感じる大地の息吹、そして寝転がって見上げた吸い込まれそうな青空。子どものころは、よく大地に臥していたが、今ではほとんどなくなった。

この漢字をみたとき、骨折りが損に思えて、草臥れという儲けがある。(それを儲けと思うかどうかだが)歳を重ねると、草原に臥すことも努力を要するようになる。骨折ってこその得である。