ドイツの医師シュバイツァーがアフリカの病院を設立し、
医療活動をはじめたころに、ある記者が
「これでアフリカから祈祷師や占い師に命を委ねる
 という因習が払拭されますね」といったことに対し、
病院の向こうの森の方を差して「あれを見てください」と。

祈祷師は、ある患者には祈祷し、またある患者には
こちらの病院の方を指さして何か言っている。
あれは、たとえば外科的な治療が必要な人には
「『あそこの病院へ行きなさい』といっているですよ」
「私は最初はあなたと同じように思っていましたが、
 大事なことは患者の病を治療することで、
祈祷が必要な場合もあるんです」と。

日本に愛し、長く住む外国人がよくいう「らしさ」とは、
「あいまいさ」である。
詳細まではっきりと示さない。決めない、グレーゾーンだ。
グレーだからこそ、そこには多様な要素が入れる余地がある。
善くも悪くも現場任せで、あとは「現場で考えよ」と。
そこは答えがないわけだから、自由な発想と工夫が生まれる。

先日、中国から帰国したある人と話していたら、
夜な夜なCVSの前に屋台が出るという。
アルコールや飲料などの飲み物などは「CVSで買ってくれ!」
ということだ。法律もCVSも、屋台にも暗黙の了解がある。
考えてみれば、グレーなところに人の働く余地もある。

品質や安全が大事だからといってそれをすべてダメとせず、
少しだけ余地を残す。
それは責任を持つ余地であり、考える余地であり、
働く余地でもある。

われわれの好きな、あの大岡裁きもいわばグレーゾーンだ。
グレーを許容範囲はむずかしいかもしれないが、
そこに人の、日本人らしさが表われるものではなかろうか。
日本好きの外国人は、むしろそこに魅力を感じているのだから。
「いまさら」といわず、余地を残すことのよさを考えてみたい。

そのためではないかもしれないが、目は開けることもできれば
閉じることもできる。目を閉じることの意味もあるのだ。