ラベルは包装の一部といえるものだが、
今夏にコカコーラが中東で発売した缶入り「コカコーラ」には、
ラベルではなくダイレクト印刷で、
「ラベルは缶につけるもので、人を評価するために使う
 ものではない」というフレーズが記されていた。
これは、人間の差別をいさめる目的で製作されたものである。

善悪はどうあれ、人にレッテル(ラベル)を貼ってはならない。
レッテルを貼るということは、自らの思考をストップさせ、
相手を知るという努力を放棄することである。
自分の都合を相手に押し付けることである。

歴史上の最悪のレッテルは「敵国」と貼る戦争である。
他国を例にとらずとも「鬼畜米英」とのレッテルを貼って、
戦った歴史を知らない人はいまい。

もしたとえ意見を異にする、敵国同士であったとしても、
その顔を知り、生い立ちを知り、性格を知り、両親を知り、
人生の一部をともに過ごしたとなれば、
簡単に、その相手を「敵」だとして非難したり、侮蔑したり、
引き金を引いたりできるだろうか。

だが、その相手のことを何も知らず、知ろうとせず、
「敵」とのレッテルを貼ってしまえば、いとも容易に
非難したり、侮蔑を浴びせたり、
引き金さえ引くことを躊躇わない。

もし、真に相手が最悪の行為に及ぼうとしていたとしても、
レッテルを貼った瞬間に、心は同じ行為に堕してしまう。
「目的は手段を正当化しない」とは、あのカンジーの言葉。

人間として愛をもって生きることが善であるならば、
たとえ心を失ってみえたとしても、どんな人も
同じ人間であることを忘れてはならない。
それは、けしてレッテルを貼らないという人として境である。

その境を越えれば、人は人ではなくなってしまう。
ミイラ取りがミイラとなってしまう瞬間である。
それは他人が判断できることではなく、自身の心の問題。

相手がどうあれ、最後の最後まで同じ人間であることを信じ、
けしてレッテルを貼らず、相手の人としての心に迫ろうとする
その努力を放棄しない。
それが私の信じる人間であり、その人の前に動かぬ心はない。
「至誠にして動かざるものは未だこれあらざるなり」。
それは、あの松陰の信念でもあった。