人生は不思議。何事にも「時」がある。
(小学校)卒業以来、ようやく担任先生を訪ねることができた。
学業だけでなく生き方や考え方、努力の方法や歓び、
様々なことを教えていただいた先生であった。
人生の最初の転機といえるかもしれない。
一人でも、善い先生(教師)と会えることは幸せである。
その意味では、年代ごとに善い先生に出会えたと感ずる。
その中でも、やはり大きな影響を受けたのがこの先生である。
心から離れたことはなく、いつかお会いしたいと思いながら、
ついつい今日まで礼を失してきたわけだ。
だが、再会の機会を得て思うことは、
この「時」でなければならない、ということである。
理由があるわけでないが、確かにそう思う。
もう一つで80歳になろうとする先生は、
想像以上に若々しく、当時の面影をはっきりと止めていた。
昔も今も、子どもたちの成長と未来を気にかけている。
リタイア後の「足跡をみせたい」との先生は楽しそうで、
草木を相手に、子どもたちの未来を見ているのだろう。
昼食をご馳走になりながら、緑の庭をみつつ
「私はヤマボウシが好きなんよ」と、
新緑の葉に真っ白い花を控えめに咲かせるヤマボウシは、
先生の姿に似ているともいえる。
ヤマボウシ/青葉に映ゆる/白き君(はな)
先生は教育の基盤は「命」と「自然」だという。
それが“ふるさと”だとも。
「コンクリートの東京で大丈夫か」といい、
「離れてみないとふるさとの良さは分からんかもしれん」とも。
当時、先生が色々な読みものをわら半紙にガリ版刷りして
それをみんなで輪読していた。
「それの一話一話を教室に貼っていたのを憶えているか」と
いわれて、確かにそんな記憶が蘇ってきた。
その30cmほどの高さになる、そのわら半紙は今も手もとにある。
今回、それらをまとめて小冊子にしたものを2つ下さった。
「子どもはもう遅かろうから、孫と読みなさい」と。
今の教育を、政治を、社会を真剣に愁いていた。
当時もきっと、そうだったのだろう。
考えてみれば当時の先生は四十代で、私も今その年代となった。
正確にいえば、当時先生は(たぶん)41~42歳で、
私は先生の歳を6~7歳ほど超えたことになる。
一緒に昼食をしながら、何度となく先生は
「今日は話しができて楽しい」と言っていた。
色々と聞きたいこともあったが、先生の話を聞くうちに、
それらは大したことではないと思えた。
大事なことは「先生、子どもたちの未来は心配いりません」と、
自信をもっていえるような自分になることだ。
先生の教えに背かず、何があってもそれを抱いて、
誇りを持って生きることである。
自らの育む草木の足跡を案内してもらいながら、
言葉以上の何かを先生は背中で語ってくれた気がする。
新緑の/匂い立つ里/師の心
子ら思う/心は今も/熱き人
草木育む/大地と生きなむ
(小学校)卒業以来、ようやく担任先生を訪ねることができた。
学業だけでなく生き方や考え方、努力の方法や歓び、
様々なことを教えていただいた先生であった。
人生の最初の転機といえるかもしれない。
一人でも、善い先生(教師)と会えることは幸せである。
その意味では、年代ごとに善い先生に出会えたと感ずる。
その中でも、やはり大きな影響を受けたのがこの先生である。
心から離れたことはなく、いつかお会いしたいと思いながら、
ついつい今日まで礼を失してきたわけだ。
だが、再会の機会を得て思うことは、
この「時」でなければならない、ということである。
理由があるわけでないが、確かにそう思う。
もう一つで80歳になろうとする先生は、
想像以上に若々しく、当時の面影をはっきりと止めていた。
昔も今も、子どもたちの成長と未来を気にかけている。
リタイア後の「足跡をみせたい」との先生は楽しそうで、
草木を相手に、子どもたちの未来を見ているのだろう。
昼食をご馳走になりながら、緑の庭をみつつ
「私はヤマボウシが好きなんよ」と、
新緑の葉に真っ白い花を控えめに咲かせるヤマボウシは、
先生の姿に似ているともいえる。
ヤマボウシ/青葉に映ゆる/白き君(はな)
先生は教育の基盤は「命」と「自然」だという。
それが“ふるさと”だとも。
「コンクリートの東京で大丈夫か」といい、
「離れてみないとふるさとの良さは分からんかもしれん」とも。
当時、先生が色々な読みものをわら半紙にガリ版刷りして
それをみんなで輪読していた。
「それの一話一話を教室に貼っていたのを憶えているか」と
いわれて、確かにそんな記憶が蘇ってきた。
その30cmほどの高さになる、そのわら半紙は今も手もとにある。
今回、それらをまとめて小冊子にしたものを2つ下さった。
「子どもはもう遅かろうから、孫と読みなさい」と。
今の教育を、政治を、社会を真剣に愁いていた。
当時もきっと、そうだったのだろう。
考えてみれば当時の先生は四十代で、私も今その年代となった。
正確にいえば、当時先生は(たぶん)41~42歳で、
私は先生の歳を6~7歳ほど超えたことになる。
一緒に昼食をしながら、何度となく先生は
「今日は話しができて楽しい」と言っていた。
色々と聞きたいこともあったが、先生の話を聞くうちに、
それらは大したことではないと思えた。
大事なことは「先生、子どもたちの未来は心配いりません」と、
自信をもっていえるような自分になることだ。
先生の教えに背かず、何があってもそれを抱いて、
誇りを持って生きることである。
自らの育む草木の足跡を案内してもらいながら、
言葉以上の何かを先生は背中で語ってくれた気がする。
新緑の/匂い立つ里/師の心
子ら思う/心は今も/熱き人
草木育む/大地と生きなむ