人の心は縁に触れて動くもの。
出会いや聴聞、見聞の感動はどんなに大きくても、長くはつづかない。
聴聞するときの燃え立つような思いは、
遠ざかりゆくほどに徐々に冷めてゆくものである。

その燃え立つような思いを止めおくには努力しない。
心の触発を生む縁は大切なものだが、同時に日々の努力が不可欠である。
それは他に依らず、自らで心を律して挑みゆくしない。
私も、これまで色々な人と出会って来たが、
何事も、黙々とやり続ける人は希である。

その人は、けして過去に引かれず、むしろ過去を背負って前に進む。
「人生は重荷を背負うて、坂道を行くが如し」とは徳川家康の言葉だ。
「苦しい」と思うことこそが、坂道を登っている証である。
未来に開く成長の手応えである。

その苦しみを避け、一所に止まることはできても、
厳しくも、ときは一瞬も止まっていてはくれない。
過ぎ去ったときは二度と戻らず、未来は遠のくばかりである。

誰もが心のどこかで分かっていることなのに、弱きに流されてしまう。
「月々日々に強り給へ」である。
自らの内には弱き己をあれば、強き己もある。
「私はまだまだ、こんなものではない」と、
内なる眠れる獅子を揺り覚まし、まだ見ぬ可能性の扉を開きたい。
坂道を登る苦しみは、その作業にともなう尊い汗である。

さぁ、人生の坂道を登り始めよう!
たとえゴールは遠くても一人ではない。
一人より二人、二人より三人と、あの人も、またこの人も
人に区別なく、誰もが重荷を背負って坂道を登りゆく友である。
ゆえに声を掛け合い、ともに励まし、ともに行こう。
ともに流した「苦しみ」という汗ほど尊いものはないのだから。