暑さが一気に訪れて、どこかに夏らしさを置いてきた感だったが、
ここに来て、ようやく夏らしさがポツポツと表われ始めた。
一つは、まだ何となく見慣れたかたちにはなれない入道雲と、
チラホラと耳に入り始めた蝉の鳴き声である。

まだまだ夏模様とはいい難いが、暑さや風物詩だけでなく
景色も匂い、雰囲気も夏一色といったものになってほしいものだ。

とはいえ、遠い友から夏野菜が届いた。
「畑の帰り道にクロネコが通ったので野菜を送った。
 採ったままなので洗ってない」とのメモ。
クロネコを見た、厄払いか何かなのだろう。
土くれのついた野菜たちは、まさしく大地の匂いが立っていた。
どれも手づくりらしい、武骨な顔をしたつわものたちのようだ。

かつて長男が生まれたとき、まだ血にまみれたシワシワの相をみて
同じような思いが湧いたことを思い出した。

芭蕉の歌(夏草や 兵どもが 夢の跡)ではないが、
「夏野菜 つわものどもの 夢の味」といった感じだ。
その武骨さの内には、暑い夏を凝縮したおいしさというものがある。
音の立てる歯応えと、そのみずみずしいおいしさを
表する言葉はみつからない。

夏は、視覚や聴覚、嗅覚、触覚だけでなく、味覚を通じて、
自然の命の一部をいただくことで感じられるものである。
そして、われわれの命の中に引き継がれてゆくものである。