中津の同窓の援助から、関東同窓会の開催にかかわり始めて、
色々と考えることがある。
幹事会の連絡をしていると、その奥さまから返信が来た。
ご主人は昨年暮れに亡くなったとのことだが、
生前、同窓会を楽しみしており、時間が許す限り出席していたとの
感謝の旨が短くつづられていた。
同窓会(学年を超えた)は何のためにあるのだろう。
それは、どんな理由かは分からないが、
そうして開催を毎年楽しみにしてくれる人のためである。
そして、もう一つ大事なことは流れを絶やさぬことである。
いい換えれば、それは後輩を思う心でもある。
方丈記の冒頭は有名だが、ゆく川の流れが絶えないのは
「元の水にあらず」であるからである。
身体が新陳代謝を絶やさぬように、精神の新陳代謝が必要だ。
いわば、それは成長であり、努力なくしてはできないものである。
同窓の先輩たちが順次いなくなることは自然の道理であり、
同時に、常に新たな世代が流入してこなければならない。
ただ開催すればいいというのではなく、川の流れのように
絶えず刷新しながらつなげてゆくことである。
むしろ、物理的な要素というよりは、心的な要素に軸を置く。
不思議なことに中津が決めたテーマは「創始」である。
わずか二文字に、われわれが今やるべきことが込められている。
短いからといって侮ってはならない。
神さまがいるとすれば誰かの心に降りて、その言葉を言わせたのだろう。
仏陀が過去世の弟子たちと再会したとき、
その弟子たちが、仏陀に会うやいなや
「世尊よ、身心は健やかですか。
法を広めるにつつがありませんか」と聞いたという。
創始からの先輩たちの後輩へのきづかいは自然かもしれないが、
後輩もまた「創始」の志をもって、先輩たちをきづかうような、
双方のきづかいが匂い立つような同窓会を開催したいものだ。
もちろん同窓会がゴールというよりも、
そこへ向かう中での様々な、先後を問わない一つひとつの交流が
ゴールである。
つらつらと長くなってしまった。
色々と考えることがある。
幹事会の連絡をしていると、その奥さまから返信が来た。
ご主人は昨年暮れに亡くなったとのことだが、
生前、同窓会を楽しみしており、時間が許す限り出席していたとの
感謝の旨が短くつづられていた。
同窓会(学年を超えた)は何のためにあるのだろう。
それは、どんな理由かは分からないが、
そうして開催を毎年楽しみにしてくれる人のためである。
そして、もう一つ大事なことは流れを絶やさぬことである。
いい換えれば、それは後輩を思う心でもある。
方丈記の冒頭は有名だが、ゆく川の流れが絶えないのは
「元の水にあらず」であるからである。
身体が新陳代謝を絶やさぬように、精神の新陳代謝が必要だ。
いわば、それは成長であり、努力なくしてはできないものである。
同窓の先輩たちが順次いなくなることは自然の道理であり、
同時に、常に新たな世代が流入してこなければならない。
ただ開催すればいいというのではなく、川の流れのように
絶えず刷新しながらつなげてゆくことである。
むしろ、物理的な要素というよりは、心的な要素に軸を置く。
不思議なことに中津が決めたテーマは「創始」である。
わずか二文字に、われわれが今やるべきことが込められている。
短いからといって侮ってはならない。
神さまがいるとすれば誰かの心に降りて、その言葉を言わせたのだろう。
仏陀が過去世の弟子たちと再会したとき、
その弟子たちが、仏陀に会うやいなや
「世尊よ、身心は健やかですか。
法を広めるにつつがありませんか」と聞いたという。
創始からの先輩たちの後輩へのきづかいは自然かもしれないが、
後輩もまた「創始」の志をもって、先輩たちをきづかうような、
双方のきづかいが匂い立つような同窓会を開催したいものだ。
もちろん同窓会がゴールというよりも、
そこへ向かう中での様々な、先後を問わない一つひとつの交流が
ゴールである。
つらつらと長くなってしまった。