どの政党、どの政治家というわかけではありませんが…。
怒号やヤジが飛び交う国会、それを横目に支持率を気にする政治家、
さすがに居眠りをする奴は減ったかもしれないが、
意見がわかれて紛糾し、ソリが合わないと別れを切り出す党員。
しかも、別れれば罵り合いで、泥仕合を演じている。

まるで茶番の喜劇をみているようで、
まさか、そこで大事な政治が行われているとは思いがたい。

昨日、江田さんが「歌を忘れたカナリア」と渡辺さんを誹っていたが、
言葉は選ばなければならない。
ともいえ、今の政治家に“歌えるカナリア”がいるとは思えない。
そもそも「歌」そのものを理解している人がいるのだろうか。

少し時間をさかのぼると、故・阿久悠さんがこんなこと言っている。
クリントンの米大統領就任演説を「千六百語のフォークソング」として、
「フォークソングであるがなかろうが、一つの国のリーダーで
 あってみれば、公式に語る言葉には、訴えるものと、酔わせるものと、
 少なくても近未来のあらまほしき予想図が含まれていなければならない
 ことは当然で、その意味では重要性を十分に理解した演説であった」
と評価する一方で、
「橋本首相のあの記者会見や国会答弁は何であろうか。何かに似ている。
 あの言葉の選び方と、あの抑揚の殺し方、しかも、淀みない空虚な言葉
 の流れは―と考えた時、ああ、これは弔辞であると、気がついた」と。

つまり、日本の政治家は随分前から歌っていないのだ。
いつも「弔辞」を述べているのだと分って、少々納得した次第である。
悲しいことには違いないのだが…。