つれづれに思う。

先達の言葉は重い。
「もし明日死ぬと分っていても、蕭々としていられるか?
 もし明日大統領になるとして、自信があるか?」と。
どこまで本気か? 他人しろ、自身のことにしろ、その見極めは難しい。
だから、信じてぶつかる事にしている。
だから、信じて後悔が残ると思えば、最初から埒外に置く。

立場上、大統領と首相の役割や責任は違うが、先達の言葉に従って
自ら首相になったとして「増税」のタイミングを考えてみる。
結果が全てといえる政治に、「正解」というものはないのかもしれない。
ただ複雑な世界だけに、単純に考えて2つの点で、
来年4月の増税には2つの疑心が働く。

1つは、あまのじゃく精神が働くものだが、
「増税」の判断となる指標や環境があまりにも「良い」からである。
まるで行く先々で信号が青に変わっていくような感じだ。
こういう時には「必ず」と言っていいほど失敗を招くものである。
「勝って兜の緒をしめよ!」と言われるが、大事な何かを見落しかねない。
2つめは、「勘」である。(消費税と直結する現実はまだ動いていない)
「勘」は自身に属すものだが、環境(社会や自然)とよく連動している。
それだけに、自身の経験や知識、信念に基づくものでもある。

とは言え、グローバル時代である。
国内はともかく海外に向けては、
もう「決断」を先延ばしすることは許されない。
「決断」といえば、法律通りに上げるか、先送るか(上げない)だ。
だか、本当にそうだろうか。アジア的、日本的な決断があってもいい。

例えば「1年延ばして、8%に上げることを決断しました」とはどうか。
「決断」は「決断」であると言えば、詭弁だとの非難を待たないだろう。
だが「その理由は」として、
その1年間(増税まで)にやるべきことを明確に列記し、
それを確実に行うことを約束すれば、
内外からの納得は十分に得るものだと思う。

その証左の一つとして、国内からは非難の嵐が起りつつあるものだが、
安倍首相の「汚染水はコントロール下にある」との発言には、
海外からは一定の評価がある。考えてみてもらいたい。
事実、今は「コントロール下にある」とは言いがたくとも、
もし上記のように、これからなすべきこと明確に列記して実行を約せば、
納得できる人も多いのではないだろうか。

つまり「決断」と「決意」は1つであり、
殊に海外ではリーダーの「決意」を示す“言葉”を重んじられる。
それだけに約束を果さなければ信頼は失い、立場を失墜することになる。
つまり「言葉」への信頼を裏付けるのは「自己責任」である。

タマゴが先か、ニワトリが先かの違いはあるが、
いずれにしても「約束は果たす」「成し遂げる」ということが大事。
特に日本人ならば、苦境の現実を変えることを第一義としてほしい。

アジア的決断については、また考えてみたい。