新しい土壌から、新しい本格派の政治家がつぎつぎと出現することを期待したい。 けっして政治家ひとりでは何もできるものではない。
 結局、人間が原点である。人間が的である。
 
 多数の民衆の衆望というものを担った偉大な一世を風靡するような政治家が、
 われわれの土壌から出たとする。衆望のおもむくところ、
 民衆はその政治家を信頼するに足るとして、
 彼の政策遂行に協力せずにはいないだろう。
 こうなると、この政治家を中心として民衆自身の望む政党もできるであろう。

今から30年以上も前に、こんなことが書かれている。
「新しい土壌」とは、政治を監視するわれわれ国民の意識といえよう。
投票率が50%程度では、まだ「新しい土壌」とは言いがたいが、
それでも、その意識を波立てる「風」は吹きつつあるのではなかろうか。

本格的な政治家といっても、「人間」が的ということであるなら、
「人間」にフォーカスして考えてみなければならない。

小人ほど「大人」の風を見せようとするものである。
弱い人ほど「強さ」を誇示しようとする。
閉ざされた頑な心の人ほど、開かれた態度を示そうとする。
大人ほど小人の声に耳を傾けるものである。
強い人ほど、自然の行為に優しさがあらわれる。
開かれた心の人ほど、頑な心を開く努力を惜しまない。

「不信」は断絶の働きであり、「不信」からは何も生まれない。
「信」は結合の働きであり、「信」は創造の源泉である。
不信は小人の心を覆い、大人の心は信で満たされている。

さて、そんな目で周囲をみた時、果して本格派の政治家がどれほど居るだろうか。
居なければ、諦めるのではなく、これから生み出せばよいのである。
では、どうやって生み出すのか? われわれが新しい土壌となるのである。

政治家の成長が先か、それともわれわれ国民の成長が先か。それを競えばよい。
いずれにしても、成長のない小人は消えていくしかない。

「勝って兜の緒を締めよ!」「負けて勝利の因を積め!」と、
いずれも人としての底が知れる大事な時であることを忘れまい。