親しき友人から夏の便りをいただきました。

 蚊帳の外に置かれ~しかし、彼らの理解できないところで対話を続け、
 共感を確実に得たと思います。実りの秋が来るものと信じます。

自らが大切に思う行為が、周囲には無理解で心ない言葉を掛けられる。
長い人生の中にはそんなこともあります。
最近は、それもまた多様性を証するもので、
善くも悪くも、やはり人それぞれに価値観も観方も違います。

「自らが大切に思う」というのも主観にすぎません。
ただ、問われなければならないのは、多勢に従うのか。
それとも、自身の信じる道を進むのか、ということでしょう。
いずれの選択も、その先にある成否は自らが責任を負うものであるならば、
答えは、自ずと出ているに違いありません。

私は、こうしたことを考えていると時々、俳人の小林一茶を思います。

 やれ打つな ハエが手をする 足をする

一茶の目線はどこに注がれているのでしょう。
人から見れば不要であり、無益、悪益であったとしても、
自然が生み出したものには、何かしらの役割があり、意味のあるものだと思います。
そうした視線は「優しさ」「慈愛」から生まれてくるものではなでしょうか。
そこで一句。

 蚊帳の外 外なれば知る 蚊の心