かなり昔(937年)の話しだが、奈良の興福寺で南都と北嶺の間の論争があった。
両側とも学匠4人、だが北嶺側にはまだ20代の良源がいた。
当然の如く「北嶺は無名の若僧を出して南都を侮るか」と。
北嶺の圧倒的な優勢に、南都側は東大寺の法蔵大法師を引っ張り出した。
そこで、対峙したのが良源さん。
北嶺の学匠を一言で沈黙させた法蔵に向かって、
「大法師どの、宗論はあくまでも法説をもって立てねばなりませんぬ」、
「ただいま伺った玄奘三蔵の話しは、一場の因縁説(伝説)にすぎず、
しかもどの経にも論にも書かれておりません。そういうものをもって
宗義の援用になさるべきではありません」と、静かにいうと、
大法師は赤面してその発言をひっこめた、という。
そこで、起死回生に仲算大法師という学匠を連れてくる。
良源の主張する「無一不成仏(一として成仏せざる無し)」を取り上げて、
「良源どの、あなたは文点―訓み方―をまちがっている」と一喝。
すると、良源さんは「どう訓むのでございます?」と聞くと、
「無の一は成仏せず、と訓むのだ」と無理を強いて、満場から失笑をかった。
象牙の塔にこもるような学匠たちは、どうしても教義(狭義?)に我執する。
ゆえに重箱の隅をつつくような論争になりがちだが、論争のカギは外にある。
道理に照らし、または信憑性のある文献の裏付けがあるか。
案外、初歩的なことに躓いているから不思議である。
さほど過去を遡らずとも、同じようなことは日常に多々ある。
かつて国会で、週刊誌を片手に問題を糾弾する代議士の姿に驚いたことがあるが、
彼には週刊誌が信憑性のある文献であったのであろうか。
そんな道理も分らぬような人を代議士にした、われわれも反省せねばなるまい。
少なくても心には「良源」を住まわせていたいものである。
両側とも学匠4人、だが北嶺側にはまだ20代の良源がいた。
当然の如く「北嶺は無名の若僧を出して南都を侮るか」と。
北嶺の圧倒的な優勢に、南都側は東大寺の法蔵大法師を引っ張り出した。
そこで、対峙したのが良源さん。
北嶺の学匠を一言で沈黙させた法蔵に向かって、
「大法師どの、宗論はあくまでも法説をもって立てねばなりませんぬ」、
「ただいま伺った玄奘三蔵の話しは、一場の因縁説(伝説)にすぎず、
しかもどの経にも論にも書かれておりません。そういうものをもって
宗義の援用になさるべきではありません」と、静かにいうと、
大法師は赤面してその発言をひっこめた、という。
そこで、起死回生に仲算大法師という学匠を連れてくる。
良源の主張する「無一不成仏(一として成仏せざる無し)」を取り上げて、
「良源どの、あなたは文点―訓み方―をまちがっている」と一喝。
すると、良源さんは「どう訓むのでございます?」と聞くと、
「無の一は成仏せず、と訓むのだ」と無理を強いて、満場から失笑をかった。
象牙の塔にこもるような学匠たちは、どうしても教義(狭義?)に我執する。
ゆえに重箱の隅をつつくような論争になりがちだが、論争のカギは外にある。
道理に照らし、または信憑性のある文献の裏付けがあるか。
案外、初歩的なことに躓いているから不思議である。
さほど過去を遡らずとも、同じようなことは日常に多々ある。
かつて国会で、週刊誌を片手に問題を糾弾する代議士の姿に驚いたことがあるが、
彼には週刊誌が信憑性のある文献であったのであろうか。
そんな道理も分らぬような人を代議士にした、われわれも反省せねばなるまい。
少なくても心には「良源」を住まわせていたいものである。