「幇間芸」とは聞きなれない言葉であろう。
別名「太鼓持ち」とも言われるが、
今の語感とは少し異なるかもしれない。
江戸時代、必要に迫られて生まれた“芸”である。

芸者遊びは基本的に予約制だったようだが、
ボンボンなどが飛び込みで遊びに行くと、
芸者の準備に少なくても2時間は掛るため、
芸者が来るまでの急場をしのぐ役回りである。

ゆえに「あらゆる芸を習得していないといけない」と道楽さんはいう。
約2時間近く客を飽きさせないことは当然だが、
客の無理難題の要望に応えなければならないからだ。
「それはできません」が通用しない世界だったようだ。
とはいえ、何事にも基本の“型”は必要である。
道楽さんは、日本舞踊と家元でもあるわけだ。

さて、素人の私は「化粧はしないんですか?」と聞いてみた。
すると「客の近くでの演義なので、顔の表情が非常に大切です」と、
化粧をすると微妙な表情の演義が伝わらないのだ。

「3・11」から「絆」という言葉がクローズアップされるが、
「絆」が大切だという事実よりも、
それをいかに生かし、深めていくかといった方法が大切である。
つまり、人と人、人と環境、人とモノなどの間を、
いかに結び付けていくかである。

そこには、ある意味で「無私」が求められる。
「幇間芸」からは、そんな雰囲気が感じられる。
過去の芸というよりも、むしろこれから必要な芸ではないだろうか。
その共感はどこから来るのか?
それは、まさしくパッケージの存在と酷似しているからである。