大学生の時、
ある人から「君たちは、新世紀に駆け込んだ最終ランナーだ」と、
言われたことが、今も記憶に残っています。
何となく実感はできても、どんな意味で言われたのか、はっきりとは分らない。
だからこそ、自らの内にいつまでも止まっているのかもしれない。
だからこそ、図書館で目に止まったのが、灰谷健次郎の「遅れてきたランナー」。
読んでみると、タイトルは言われた言葉とは全く違った。
だけどたかがランニングで、ここまでジタバタと考える人は珍しい。
人の言うことを素直に聴けない天邪鬼というのも、
やはり世の中には必要なのかもしれない。
それ以上に、同じ人生を2倍、3倍に楽しんでいるようにも感じられる。
佐々木功さんは「牛のよだれのように、ゆっくりゆっくり長く走れ」とすすめている。
二時間二十分前後で走れる人にも、佐々木さんはこれを課す。
速く走れる人に一キロ七分ないし八分のスピードを保たせることは、
本人にとっては大変な苦痛らしい。
しかし、そうすることによって正しいフォームが身につき、
使われていない毛細血管の先端を押し広げるために、
飛躍的に心肺機能がたかめられる。
四苦八苦して、灰谷さんはどんな結論に至ったかというと、
ゆっくり走ることに慣れるというのは、どういうことか。
それは、わたしにとって大きな変革を意味するのだが、
心と体の対話が生じはじめるという実感を得たということだ。
どうですか? 走ることだけじゃありませんよね。
人生、そのもののあり方のようにも感じます。
私も今、ゆっくりとは走ることを身に付けたいと思っています。
体の動きと調子が独走することなく、
いつも気持ちとぴったりくっついているということは、
なんともうれしいもので、自分がいま、在るよろこびを確かに覚える。
いいですね。
ある人から「君たちは、新世紀に駆け込んだ最終ランナーだ」と、
言われたことが、今も記憶に残っています。
何となく実感はできても、どんな意味で言われたのか、はっきりとは分らない。
だからこそ、自らの内にいつまでも止まっているのかもしれない。
だからこそ、図書館で目に止まったのが、灰谷健次郎の「遅れてきたランナー」。
読んでみると、タイトルは言われた言葉とは全く違った。
だけどたかがランニングで、ここまでジタバタと考える人は珍しい。
人の言うことを素直に聴けない天邪鬼というのも、
やはり世の中には必要なのかもしれない。
それ以上に、同じ人生を2倍、3倍に楽しんでいるようにも感じられる。
佐々木功さんは「牛のよだれのように、ゆっくりゆっくり長く走れ」とすすめている。
二時間二十分前後で走れる人にも、佐々木さんはこれを課す。
速く走れる人に一キロ七分ないし八分のスピードを保たせることは、
本人にとっては大変な苦痛らしい。
しかし、そうすることによって正しいフォームが身につき、
使われていない毛細血管の先端を押し広げるために、
飛躍的に心肺機能がたかめられる。
四苦八苦して、灰谷さんはどんな結論に至ったかというと、
ゆっくり走ることに慣れるというのは、どういうことか。
それは、わたしにとって大きな変革を意味するのだが、
心と体の対話が生じはじめるという実感を得たということだ。
どうですか? 走ることだけじゃありませんよね。
人生、そのもののあり方のようにも感じます。
私も今、ゆっくりとは走ることを身に付けたいと思っています。
体の動きと調子が独走することなく、
いつも気持ちとぴったりくっついているということは、
なんともうれしいもので、自分がいま、在るよろこびを確かに覚える。
いいですね。