暑い夏の夜に、心を静めて考えてみる。
常不軽菩薩をご存知だろうか。
実存した人物なのかは知らないが、居てもおかしくはない人である。
物の本によると、
「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、
汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと」と
だれ彼構わずに礼拝したが、
誰もが悪口罵詈し、杖や枝、瓦石をもって彼を迫害した、という。
もう少し想像力を逞しくした物の本によれば、
「お前気持ち悪り~」などと嫌われ、罵られ、
おまけに棒切れを持って追われ、石を投げられたりしても、
先の言葉を唱えて、礼拝したという。
ただし、悪口や罵倒は痛くはないが、さすがに棒きれや石で追われるのは痛い。
そこで、すかさず棒切れの届かない位置まで逃げ、
石の届かない距離まで離れ、そして礼拝する。
攻撃をゆるめると、また近づいて礼拝する。
そのうち、誰もが根負けする。
話しは、すでに十分に耳から入り、心底まで届いている。
あとは、誤って「弟子にしてください」というのは時間の問題である。
カンジーも驚くほどの、強かな非暴力運動である。
とはいえ、行動は一人。
目には目を、歯には歯をでは変えられない。
力任せに押しまくっても、それほどは進まない。
この強かさは何に由来するのであろうか。
常不軽菩薩の心である。
その確信であり、心に映じた世界への強い思いである。
これを、言行一致と言わずして何と言う。
常不軽菩薩をご存知だろうか。
実存した人物なのかは知らないが、居てもおかしくはない人である。
物の本によると、
「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、
汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと」と
だれ彼構わずに礼拝したが、
誰もが悪口罵詈し、杖や枝、瓦石をもって彼を迫害した、という。
もう少し想像力を逞しくした物の本によれば、
「お前気持ち悪り~」などと嫌われ、罵られ、
おまけに棒切れを持って追われ、石を投げられたりしても、
先の言葉を唱えて、礼拝したという。
ただし、悪口や罵倒は痛くはないが、さすがに棒きれや石で追われるのは痛い。
そこで、すかさず棒切れの届かない位置まで逃げ、
石の届かない距離まで離れ、そして礼拝する。
攻撃をゆるめると、また近づいて礼拝する。
そのうち、誰もが根負けする。
話しは、すでに十分に耳から入り、心底まで届いている。
あとは、誤って「弟子にしてください」というのは時間の問題である。
カンジーも驚くほどの、強かな非暴力運動である。
とはいえ、行動は一人。
目には目を、歯には歯をでは変えられない。
力任せに押しまくっても、それほどは進まない。
この強かさは何に由来するのであろうか。
常不軽菩薩の心である。
その確信であり、心に映じた世界への強い思いである。
これを、言行一致と言わずして何と言う。