facebookの友人の小野 眞司さんと「光の話」をしました。
昔から非常に興味のあることです。わずかなやり取りですが、それでも何かを感させます。
こういう対話は思考を深めてゆく、意味あるもののように思います。

宝坂 健児
小野さん、唐突で恐縮ですが、「光りの速度は一定ではない」という議論があるのでしょうか。もし仮に一定でないということは、何を意味するのでしょうか。お考えの範囲で結構ですので、何かあれば教えてください。
小野 眞司
宝坂さん。この話、聞いたことはありますが、私のことですのでそれはSFかファンタジーの話の中でのことかもしれません。光とはないかという事自体まだまだ解っていないようですので、(性質としては粒子としての性質と波動としての性質の両方が観察できるとか、質量がないとか)速度の測定方法も長い歴史があるようです。
天体観測カラの測定では、途方も無い距離の間にある物質によって、到達時間が変わるような話ではなかったでしょうか?
関連するかどうかは解りませんが、光と時間というのが密接な関係があるように思います。例えば高速を超えるスピードが出たとして、地球を観察することができたならどんどんと過去に遡った映像が見えるはずですよね。そこで、光の速度にゆらぎがあり、もしどこかで淀んだような場所があるなら、そのスピードに合わせて飛び込んでやれば、タイムリープができるということになるでしょうか?


小野 眞司
SF似よく出てくるお話です^^;
真面目なお話としてはこのサイトの説明が判りやすく感じました。
一定であるという法則としても、測定方法自体にもゆらぎがあるので実際に測ると異なる値が出る。
万物全てにゆらぎがあるので、光だけが特別と考えるのもおかしいということです。

(光速度不変の原理)
自然現象にはすべて揺らぎがあります。揺らぎとは、常に同じ値をとるとは限らない性質であり、周期的な自然現象でもまったく同じ周期ではなく、一定の速さと言ってもいささかの狂いもないまったく同じ速さではありません。
天体の運行は周期的な自然現象ですが、地球が太陽の周りを回る周期も狂いが絶対にないわけではありません。きわめて正確でも完全な正確は存在しないと考えるのが、物理学の基本です。
また、車の速さや音の速さや電磁波の速さも、周囲のさまざまな影響を受けるので、完璧に一定の速さを保っているわけではありません。光は電磁波の一種であり、光もまた、例外ではあありません。実際、光は水の中を通過するとき、その速度は極端に落ちます。光が宇宙空間を飛ぶとき、一定のスピードを保つと思われますが、実際には完璧な真空は存在せず、真空中の光のスピードにも揺らぎがあると考えるのが普通です。
相対性理論では、光速度不変の原理を用いてこの揺らぎを否定しています。光こそ唯一無二の絶対的な存在であり、どんな影響も受けないと仮定しており、まるで神のような存在になっています。そして、この光の速度をcと置いて、絶対速度を導入しました。絶対空間という心的な存在を否定し、絶対時間という心的な存在を否定し、その代わりに、真空中の光速度という「実測できるもの」を絶対的な存在として肯定しています。
しかし、光の速度の測定にも揺らぎがあることを忘れてはなりません。私たちが精密な観測装置を用いて真空中の光の速度を観測するとき、画面に表示される光速度の値は、毎回、異なることでしょう。いくら真空中といっても、無限桁まで1桁の狂いもなくまったく同じ数字配列であることなど、良識的には考えられないからです。もちろん、上位の桁数をある程度決めて表示して、それ以下は四捨五入すれば、観測するたびに同じ光速度が表示されることは予想されますが…。
πの値やeの値は心的な存在であり、どの桁の数値も狂いなく決まります。計算のたびに、値が変化することはありえません。これらは唯一無二の値です。しかし、物理学における真空中の光速度cの値は、これらの数値とは一線を画しています。cは完璧に唯一無二の値ではありません。実際には、実測するたびに(観測するたびに)cの値は異なります。
「観測によって測定すると毎回、光速度は異なるけれども、それは人間がすることだからです。真空中の光速度は、観測とは無関係に常に一定値を持っています」という反論もありますが、これでは真空中の光速度だけが神の領域にあることになります。「いかなる自然現象や物理現象にも、完璧なものはない」という大昔からある諸行無常の概念は、物理学の基本的な概念であり、「光に関する自然現象だけは、完璧である」とするアインシュタインの相対性理論を最初から否定しています。

小野 眞司
こうしてみると、やはり物理学も宗教もアプローチが違うだけで根っこも目指すところも同じなんだなあと再認識しました。

宝坂 健児
参考にしました。非常におもしろいです。科学の世界の「神」に代わる絶対的な存在しての「光」ということでしょうか。諸行無常だからこそ、人間は何か絶対的な存在を求めるのでしょうか。ですが、本当に絶対的なものは存在しないのか、それとも存在するのか。それが、神のような特別な人間ではなく、また光のような特別な物質ではないようですね。単純な推測をすれば、ヒトでもなくモノでもない。また特別な存在でもない何かということになりますかね。
宝坂 健児
アインシュタインがみたという、光と同じスピードで飛んでいる夢。光りの実態は何か。また光より早く飛ぶことも可能か。その時に見える風景は少なくても光りに近いスピードで動いているものだけでしょうね。そういう世界が存在するとすれば、同じ空間に幾つかの世界が同時に存在することも考えられます。まさにSFですね。だけども、否定はできませんね。

小野 眞司
原子を突き詰めていくと、まるで天体と同じ法則で成り立ってるように思います。なんだか突き詰めていけば、人とは何か、物質とは何か?というところまで行っていましますね。果てがないから面白いのかもしれませんし、それは釈迦の手のひらの上のことなのかもしれません。こうして考えている論理や思考というのも夢物語かもしれないですね。

宝坂 健児
私もそう思います。ちなみに、私は絶対的なものは「ある」と思っています。それは、目に見えるモノではなく、やはり「法則」のような目にはみえないモノではないものじゃないでしょうか。人間はそれを何か目に見えるカタチとしたいと思うのでしょうが、カタチにした途端に無理が生じるのだと思います。アインシュタインが夢でみた光の正体は、見たというよりは「感じた」のでしょう。「確かに存在する」という実感だったと思います。粒子のようでもあり、また波のようでもある。だけども、それは確かに存在する。人間も一生はあっという間かもしれない。だけども「確かに存在した」という実感が持てるかどうかです。目にみえる体はいつかは崩壊してなくなりますからね。私は、光とは何かそんな生の法則へと導いてくれる存在のようにも思います。

続く。