日本は今、「泰平の 眠りを覚ます」時を迎えている。
江戸幕府が、「四杯の蒸気船」の到来で目覚めたように、“リーマンショック”あり、
“震災・原発ショック”あり、“テーピーピーショック”ありと、次々と未曾有の問題が到来している。
幕末と同じく、国内には様々な問題が内存し、憤懣が充満している。

それでも、まだ「寄らば大樹の陰」「長いものにでは巻かれろ」的に生きていくのか。
夢のようなリーダーの登場を待っているのか。そんな問いが、いつも突き付けられている。
なのに、いつの時代も「賛成」と「反対」、「支持」と「不支持」との綱引き合戦で、見るに耐えない。
バカなマスコミに体よくガス抜きされて、現状に止まらせられているように思えてならない。
とはいえ、事に応じたそんな世情を映し出しているのは、自らの心である。

だからといって、欧米諸国で見られるような、徒党を組んでデモをやるというのではない。
ある意味、それもガス抜きの1つであろう。
世情騒然たる時こそ、求めるべきは心の内なる静寂である。
日本人が好きな観世音菩薩のように、静かに自らの心の声に耳を傾ければ、
そこから聞こえてくるのは、自らの命につながる多くの命の声である。
自らの命が宇宙の一部であるという実感である。

吉田松陰が唱えた「草莽崛起」、福沢諭吉が掲げた「独立自尊」も、
そうした、ひとり1人の内なる“革命”を志向したものに違いない。
そして、彼らの実践が示すように大勢ではない。ひとり一人である。
特別な方法ではない。日々の生活である。
日常、寝食をともにするような一対一の“人間教育”以外にない。

そうした一人から一人へと着実に伝えゆく“師弟”の絆が、日本にはまだ残っている。
日々、Facebookなどに投影される様々な人たちの心からも、それが実感される。
私たちの内には、今も昔も、何ものにも侵されない、すばらしい財産がある。
それの自覚と誇り、自負を抱けば〝大樹に寄らず”、また“巻かれる”ものなどない。

泰平の 眠り覚ませば 獅子の子と たったひと吠え 夜は明けゆく