座右の銘


暑い日が続きます。
からだは案外、
この暑さと静かに格闘しているもので
疲れをためないように
知恵を使いながら、体調管理に努めたいものです。

しかし、もう8月。
暑い日の中にも、
かすかに秋の風や雲を感じるのは僕だけかな。

こんな脳の停止しそうな暑い時に
汗をかきながらも
真剣に哲学したいと思うことがある。

学生時代より 僕は
オーストリアの作家・ツヴァイク氏の言葉を座右の銘としてきた。
それは

「だれか、 かつて流罪をたたえる歌をうたったものがいるだろうか。
 嵐のなかで人間を高め、
 きびしく強制された孤独のうちにあって
 疲れた魂の力をさらに新たな秩序のなかで集中させる
 すなわち運命を創り出す力であるこの流罪を
 うたったものがいるだろうか
 自然はのリズムは、こういう強制的な切れ目を欲する。
 それというのも、奈落の底を知るものだけが
 生のすべてを認識するのだあるから。
 つきはなされてみて初めて
 人はその全突進力をあたえられるのだ」

もちろん、流罪など現在では考えれないことかもしれない。
しかしながら、誰しも人生に一度は
奈落の底とはいわないまでも、
「強制された孤独」「強制的な切れ目」を感じたことはあるだろう。
その時に、それをどう乗り越えたのか。
乗り越えたからこそ、今があるのだろうが・・。

果して
「生のすべてを認識」できただろうか。
もしまだなら、楽しみがまだ残っている。
もしできたなら、人生が大きく変ったに違いない。


「疲れた魂の力を
 さらに新たな秩序のなかで集中させる」と
まさに「流罪」は
暑い夏に考えるに相応しいテーマではなかろうか。