主客
僕の好きな言葉に
「主客未分の慈しみの境地」というものがある。
かなりオリジナリティのある言葉だと思うし、
何だか、分かったような、分からないような
そんな感じのする言葉。
いうまでもなく
「主」とは「主体」を意味し
「客」とは「客体」を意味する。
いずれも関係性を表す言葉で
本来の姿には
そんな区別や差別は存在しない。
でも、どうだろう。
「客体」は、「主体」に従うものといった印象を持つ人は多いのでは。
けっしてそれは間違いではないと思う。
むしろ、人生の上では
責任感を自覚した主体的な生き方は
望まれるところであろう。
さらに言えば
責任感の自覚とは何か
自己責任の範疇に止まっていてよいものか
他者への責任
社会への責任
国への責任
その広がりは無辺だ。
では、一体どこまで。
僕は、それこそが境涯〈境地)だと思う。
それは、けっして立場にともなうものでもないと思う。
自らが、意志と努力で築き上げるものに違いない。
「私は、いち民間人ですが、世界の平和に責任を持ちます」
そう言い切れる人に会ってみたい。
場合によっては、「世界」を超えて
「宇宙」というかもしれない。
本当に、楽しみだ。
まさに、その人の心を満すものこそが
主と客の分け隔てがない慈愛であろう。
「主客未分の慈しみの境地」
そんなemployerはきっといる。
僕の好きな言葉に
「主客未分の慈しみの境地」というものがある。
かなりオリジナリティのある言葉だと思うし、
何だか、分かったような、分からないような
そんな感じのする言葉。
いうまでもなく
「主」とは「主体」を意味し
「客」とは「客体」を意味する。
いずれも関係性を表す言葉で
本来の姿には
そんな区別や差別は存在しない。
でも、どうだろう。
「客体」は、「主体」に従うものといった印象を持つ人は多いのでは。
けっしてそれは間違いではないと思う。
むしろ、人生の上では
責任感を自覚した主体的な生き方は
望まれるところであろう。
さらに言えば
責任感の自覚とは何か
自己責任の範疇に止まっていてよいものか
他者への責任
社会への責任
国への責任
その広がりは無辺だ。
では、一体どこまで。
僕は、それこそが境涯〈境地)だと思う。
それは、けっして立場にともなうものでもないと思う。
自らが、意志と努力で築き上げるものに違いない。
「私は、いち民間人ですが、世界の平和に責任を持ちます」
そう言い切れる人に会ってみたい。
場合によっては、「世界」を超えて
「宇宙」というかもしれない。
本当に、楽しみだ。
まさに、その人の心を満すものこそが
主と客の分け隔てがない慈愛であろう。
「主客未分の慈しみの境地」
そんなemployerはきっといる。