思いやり
僕はアメリカ留学中、そこの担任の先生から
「日本人は、感情表現が豊かですね」と言われたことがある。
日本人が、人間として他の民族と異なるわけでない。
いにしえからの日本の文化により、私たちは育てられてきたのだ。
僕は、そんな日本人が本当に好きだ。
日本人として誇りに思える。
先日、「読売新聞」の編集手帳に
亡くなった作詞家の川内康範さんのエピソードが書かれていた。
貧しかった川内さんは、上京間もない頃に
生活の糧としてご自身の血液を提供して
5円、7円の謝礼をもらっていた。
「ある日、採血を終えて病室の一室で体を休めていると、
隣室で家族の相談する声が聞こえた。
『お礼をするお金がないよ。どうしよう』」
それを聞いた川内さんがどうしたか。
僕はとっさに、隣室へ行き家族に「謝礼はいりません」といったのだろうと想像した。
しかし、その後には
「川内さんは足音がしないように下駄を胸に抱き
はだしで廊下を走って病院を立ち去ったという」
この心が実感できるだろうか。
そして、この後に筆者は、あの有名な「おふくろさん」の歌詞の一節を続ける
「お前もいつかは世の中の/傘になれよと教えてくれた・・・」
僕は心から感動した。本当にすばらしい文書である。
そして川内さんも特別な人ではなく、ここに日本人の心の現れているものと思う。
日本人の心を表す言葉に
「いたわり」「思いやり」「心を察する」などがあるが、
そうした微妙な表現を、英語ではどう表現するのだろうか。
何か足りない気がする。
僕が好きな日本的な表現を最後に1つ紹介したい。
誰もが一度は読んだことのある川端康成の小説「伊豆の踊子」の一節
「感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じさせることが出来た」
「感情の傾きをぽいと幼く投げ出」とは、何とも表しがたい表現である。
あなたは、この言葉を実感できるだろうか。
僕はアメリカ留学中、そこの担任の先生から
「日本人は、感情表現が豊かですね」と言われたことがある。
日本人が、人間として他の民族と異なるわけでない。
いにしえからの日本の文化により、私たちは育てられてきたのだ。
僕は、そんな日本人が本当に好きだ。
日本人として誇りに思える。
先日、「読売新聞」の編集手帳に
亡くなった作詞家の川内康範さんのエピソードが書かれていた。
貧しかった川内さんは、上京間もない頃に
生活の糧としてご自身の血液を提供して
5円、7円の謝礼をもらっていた。
「ある日、採血を終えて病室の一室で体を休めていると、
隣室で家族の相談する声が聞こえた。
『お礼をするお金がないよ。どうしよう』」
それを聞いた川内さんがどうしたか。
僕はとっさに、隣室へ行き家族に「謝礼はいりません」といったのだろうと想像した。
しかし、その後には
「川内さんは足音がしないように下駄を胸に抱き
はだしで廊下を走って病院を立ち去ったという」
この心が実感できるだろうか。
そして、この後に筆者は、あの有名な「おふくろさん」の歌詞の一節を続ける
「お前もいつかは世の中の/傘になれよと教えてくれた・・・」
僕は心から感動した。本当にすばらしい文書である。
そして川内さんも特別な人ではなく、ここに日本人の心の現れているものと思う。
日本人の心を表す言葉に
「いたわり」「思いやり」「心を察する」などがあるが、
そうした微妙な表現を、英語ではどう表現するのだろうか。
何か足りない気がする。
僕が好きな日本的な表現を最後に1つ紹介したい。
誰もが一度は読んだことのある川端康成の小説「伊豆の踊子」の一節
「感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じさせることが出来た」
「感情の傾きをぽいと幼く投げ出」とは、何とも表しがたい表現である。
あなたは、この言葉を実感できるだろうか。