「余は病に謝した。又余のために是程の手間と時間と親切とを
惜しまざる人々に謝した。そうして願わくは善良な人間になりたいと考えた」
とは、僕の大好きな夏目漱石氏の言葉。

最近読んだ本「未来への選択」に
「明治の作家・夏目漱石は胃潰瘍に罹り、この鎌倉ゆかりの長与博士たちの
渾身の治療を受けている。それは『精神の一大転換』『芸術上の大転換』を
もたらす闘病となった」と書かれていた。

誰でも病は避けたいものだ。
闘病は、辛く孤独との戦いだ。
ともすれば、「誰もわかってくれない」と
自分こそが、世界中で最も苦しい一人とも思いかねない。

近代看護の祖・ナイチンゲールの言葉に
「誰もが病に伏している間は、世界が止まってように思うものである」とある。
自らが病に伏している間にも、苦しみ、もがき、死んでいく他の誰かがいるとの、
看護婦としての強い責任感を訴えたものだ。
もちろん、誰もがそんなに強くなれるものではない。

しかし、苦しいのは自分だけでない。
他にも、病と闘っている人はたくさんいる。
そう思えば、一人じゃない。
病と闘う勇気も湧いてくるに違いない。

「未来への選択」には、
「病気を乗り越えゆく人生は、生きる喜びを奥深く味わえるものだ。
また病苦に直面する人々を、力強く励ませるようにもなる」と書かれていた。

あのナイチンゲールは、
かのクリミア戦争での看護の中で
「このクリミアからもらえる病は全てもらいました」と、
クリミアの風土がもたらす、様々な病を乗り越えた自身をこう語っている。
「これで、やっとクリミアで戦える自分になりました」と。

あえて、いうまでもないことだが、
何と、すばらしい心根の人であろうか。

「病によりて道心はをこり候なり」とはいにしえの賢人の言葉。