知人の勧めで、はじめて「常磐津」というものを聴いた。
聴いたといっても、本格的なものではなく「レクチャーコンサート」である。
ちょうど「囃子」に興味を抱いていたので、
何やら不思議な感じで、心に残った。
邦楽、和楽器の魅力の一端を垣間見るとともに、
文士として、雅楽とともに歌われる世界に興味を抱いた。

「三世相錦繍文章 三社祭禮の段」

「屋台囃子に浮き立つや 昼と夜との花見の群の
 中押分ける浅草の 利益は深き宮戸川 三社祭の賑はしく」

とはじまるのだが、雅楽がなくてもゴロがよく
何とも小気味良いとは思わないだろうか。

文士の最大の関心は、「石橋(しゃっきょう)」のくだりである。

「峯に立つ木も嵐につれて 谷にこだまに物凄く こけ滑らかに露添えて」

ハッキリ言って説明がなくては、まだ理解に難しい。
「石橋」とは、中国清涼山の奥に、文殊菩薩の浄土があり、
下界と結ぶ断崖絶壁にある橋ということだ。
つまり、浄土への最後の道ということだろうか。
もちろん、深山幽谷の山路である。

石橋を渡ると、牡丹の花びらに止まる露の落ちる音さえも
全山にこだまするほどの静寂の世界。
そこで、文殊菩薩を守護する獅子たちが眠りから覚める。
まさにクライマックスの始まりである。

それを聴きながら
そういえば、久しく静寂に身を置いていない気がしたのだ。
「石橋」では静と動、そのコントラストで生命の躍動を描いている。

「花に戯れ枝に伏し転び 実にも上なき師子王の勢い」

「この獅子の雄大に舞い遊ぶ姿こそ、安心立命の悟りの境地なのだ」と解説していた。

 古池や 蛙飛び込む 水の音  芭蕉

静と動のコントラスト、ここに生の実感があるのだろう。