自らの等身大を知ることが大事だ。


かつて、運転の上手い先輩がいた。

とくに車庫入れなどはアッという間だ。

パワステのハンドルを片手で右に左に、気が付くと自動車はピタリと縦列駐車している。

技術か。だが何よりも車幅感覚による。

車幅を自らに言い直せば「等身大」ということになろう。


いったいどれくらいの人が自らの等身大を把握しているだろうか。

道を歩いて、すれ違いでぶつかるという問題ではない。

人間の器、もちろん大きいに越したことはないが、

小さくてもよい。

その器をきちんと自らが認識していかだ。

他者に対しては、それがコミュニケーションの土台となる。


わが国も同じ。けっして過大評価する必要はない。

かといって、極端にへりくだる必要もない。

等身大に日本に胸を張り、堂々と論陣をはることだ。

ゆえに「自身とは」「等身大とは」と、常に問い続けることが大事だ。

日本は、これまであまりに米国を見すぎてきた。

アジアの友は身近にいて、長い付き合いだ。

いいも、悪いも知っている仲だ。

もう背伸びをする必要はない。


批判や意見には素直に耳を傾ける。

その上で、意見はきちんと伝える。

もし、仮に日本国がしゃべれたとしたら、

「わが国は小さい。それほど、他に誇れるような何かがあるわけでもない」

「だけど、小さいなりの誇りがある。夢がある。未来を開く力がある」

「何も持つものはなくても、誰にも負けない情熱がある」と語るに違いない。

諸君!

日本にはどこにも負けない、包装の知恵と技術がある。