「金翅鳥」をご存知だろうか。

古来「雪山に近づく鳥は金翅鳥となる」というようだ。


「金翅鳥」は、サンスクリット語で「カルラ」。

想像上の大鳥で、翼は金色、口から火を吐き、竜を好んで食う。

鳳凰や麒麟などもしかりで、想像力の逞しさには驚く。

ただ、本当に想像力の産物かというと、そうではないかもしれない。

眼には見えないものを見る力は、今よりもずっと優っていただろうから。


雪山とは雪が積もるほどに高い山であろう。

インドであればヒマラヤが思い浮かぶ。

その高山の頂を目指すかのように近づく1羽の鳥

朝日か、もしくは夕日が、頂の雪に映え朱色に染めている。

高山に近づけば近づくほどに、その1羽の鳥は朱色に染まり、輝いてみえる。

そんな景色が思い浮かぶ、一節である。


「君の行く道は 希望へと続く

 空にまた 日が昇るとき
 若者はまた 歩き始める」との

歌い慣れたあの「若者たち」の歌詞がわく。

1番、2番の歌詞では、「だのになぜ」との問いが重なる

それは、行く道に待つものが“試練”ばかりだからだ。


苦難多き道なれば、頂に到達できるか否かわからない。

行倒れる可能性もある。

それでも「行く」

何が心を突き動かすのか。

より苦難のともなう高みを目指すのか。


まだ頂には至っていない。

まだ目的は達成されていない。


しかし、そこに挑むその姿が金色に輝いているのだ。

「金翅鳥」となっているのだ。

勝利は、すでに胸中に生まれている。