「無殺生」を戒律としながら、
生きるためには動植物の生を犠牲にせざるを得ない。
そんな、矛盾に悩みあぐねて、弟子は師の釈尊に聞いてみた。
すると、釈尊曰く「殺す心を殺しなさい」と。
まるで、禅問答である。
果たして、僕ならこの言葉を同受け止めるだろうか。
「何を言ってるんですか」と、笑い飛ばすか。
「どういう意味ですか」と、問い詰めるか。
「どういうことだろう」と、さらに悩むか。
まだ、あるかな。
「そうか」と、分かったつもりになって
その疑問を心の中で温めておく。
理解しようとしても難しいことある。
言葉にしようとしても不可能なことがある。
釈尊の1番弟子は、「法は説くことができないと思って説きなさい」という。
如来とは仏のことだが、
如如として来る事実をありのままに受け入れることという意味があるようだ。
そこに何が見えてくるのだろうか。
「“超越”の真の意義は、現実を深く正確に捉えながら、その現実を超えた
より大きな関係性の中に位置づけようとするところにあったのです」とは、
エマソン協会のサーラ・ワイダー前会長の言葉。
枯葉の落ちた枝の木々をみても
中では、花や青葉が新しく芽生えつつあることには気づかない。
だけれども、見えなくともそれは現実のことである。
死といっても永遠なものではない。
ワイダー女史は言う。
「1つの死の奥に、新たに開かれゆく人生を
的確に見据えておられたに違いない」と。
人生とは、誠に深いものである。