教育の結果は孫 | ジェイのブログ

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1都13県にまん防が適応されるなかで、完全な感染対策の下に地元法人会の新春講演会が、セルジオ越後さんを講師に招いて開催された。セルジオさんとは珍しいと、楽しみにしていただけに予定通り十されたことに感謝したい。

 

セルジオさんは二十代で日本に来て暮らしはじめ、もう五十年越えたという。相変わらず、片言の日本語がときおり出てきた講演内容の主旨は、時代が変わっても、人は人とのリアルなつながりが大事で、国際的にもそれが日本の最大の強みだというものだった。

セルジオさんは来日以来、その日本文化を身に着けるため、人とのつながりを大事にしてきたようだ。今回の講師を引き受けたのも、法人会のメンバーとの二十年を越えた交流による。私がとくに印象に残った話は、「教育」についてである。

 

よくある話だが、親を子に期待するが、自らの若いときを振り返ってみれば、いえたことではないことでも、子どもいっている。セルジオさんは「教育の結果は(子どもではなく)孫に表れるものだ」という。

だから、子どもに結果を求めてはならないのだそうだ。セルジオさんが、子どものころによく親に言われたことは「お前もいつか分かるよ」で、「親にならなければ分からないことを、子どもに求めてはいないか」という。

 

そして、もう一つ印象に残る話は、家庭(親)や学校(教師)が子どもの教育にかかわることはもとより、社会がかかわらなくなってきたことを心配されていた。いわば近所の世話焼きおばさんや口うるさいおちゃんがいなくなってきたということだ。

 何でもかんでも一緒くたパワハラ、セクハラなどで片づていたらば、ますますオニばばやくそジジイはいなくなってくるであろう。それを「時代」だけで片づけてよいものか。

 

「米国では弁護士がたくさんいて訴訟でお金を稼ぐが、日本は誰が得するのか」と、セルジオさんは疑問を呈していた。

 

 確かに、自分の幼少のころを振り返ってみれば親より、知らないおじさんやおばさんによく叱られた記憶がある。お祭りなどのときは、妙に不気味なおじさんが表れ、焼き芋の焼き方などを教わったことも懐かしい。

 

ここまで来ると反省多々で、煮ても焼いても食えぬおやじになるよう努めたい。最後に、セルジオさんは、今でも北は北海道から南は沖縄まで365人を越える親しい友人がいて、一日ずつ訪ねて歩けば食べることもでき、寝ることもでき、お金は必要ないといっていた。

 

果たして政府が目指す、新しい資本主義やデジタル化といったことが、人とのつながりを強固にし、日本の強みを生かせるものとなろうか。コロナ禍は今を見つめ直し、未来を考えるにはよい機会であろう。