ひょんなご縁から、ここ数年はこの時季ドイツを訪ねています。天候の変わりやすく、霙が降った年もありましたが、晴れ間も必ず顔をのぞかせます。
日本も似ていますが、色とりどりの花が咲き、とくに新緑の
緑とスカイブルー、そして眩しすぎる陽光です。そんな緑のなかにあるような町にある会社へ訪問することも楽しみの一つです。
毎回様々なプレゼンテーションを用意してくださり、もちろん基本は同じで「飽きないのか?」と思う人もいるかもしれませんが、毎回どこかしら新しく、また学ぶことがあり、それにくわえて国や人種を超えた人と人との交流がすばらしい。
「思いやり」といってもいいし、それこそ「忖度」とっててもいい、そこに人間ならではの大切な心が感じらえる。何度かお会いしている人たちとは、語らずとも目を合図し、にっこり笑って握手する。
それで十分です。そのプレゼンテーションの合間に社内のカフェのようなレストランで各署の若いエンジニアの方が同席して食事をします。私は文屋ですから、そうした専門技術の知識は乏しいわけです。
もしそうした専門知識があれば、また食事しながら議論できればどんなにすばらしいだろうと思います。それゆえに、私は日常的な話をします。住まいのことや家族のこと、趣味や興味、日本への関心などです。
一つひとつの情報を聞くほどに、相手の実像が表われてきて、段々と心が通じ合ってきます。そのうちに談笑が起こってくると、それほどに言葉の壁は感じなく、いや言葉でコミュニケートしているのではないと思えてきます。
仕事の一部と考えれば、それに関連する「情報」が大事だと思うかもしれませんが、情報はいつの時代も溢れており、自身がどんな情報を大切にしているかが大事だと思います。
お互いに英語は第二外国語ですから、間違いもあり、また発音が聞き取れないことも多々ですが、今では便利なスマフォのお陰で写真や動画でその理解の差を埋めることもできます。
わずかな時間でしたが、私は同席した方から色々なものを学びました。お礼にポケットに入っていたシジミの味噌汁を彼に渡し、作り方を伝えました。たった数センチ四方の袋にはいった一杯分の味噌汁ですが、非常に歓んでくれました。
彼は「楽しみに飲んで、その感想を来年の訪問時に方向します」といってくれました。驚いたのは、来年は来ないつもりでいましたので、まるで心を見透かされたようにも感じました。
帰り際に「本当に約束する?」と彼に聞くと、真剣な眼差しで「もちろん」といわれ、実は心が少したじろいだのです。まだ決断はできていないからです。もう一人、その企業の創業者である方と、これも恒例のディナーであいさつをしたとき、(めんどくさかったのもあるでしょうが)「また来年お会いしましょう」と言われてしまいました。もちろん、それでも決断はできていませんが、これからじっくりと半年ほどかけて再考してみたい思っています。
人は類人猿から人類への進化を決断したときに、わが身を不利な環境から保護するためのプロテクターを捨てました。それはなぜかといえば、互いの、また自然とのコミュニケーションの方を選択したためです。
そのお陰で、外界からの刺激を常に感知することで、脳が発達したとも考えれています。人が感じる情報は、目にみえる言葉や技術などはほんのわずかで、圧倒的に他の五感から得ているのです。
インターネットが発達し、それらの一部が見える化していることから、増えたように思うかも知れませんが、もともと情報は溢れており、その感知能力にわれわれは優れているのです。
だからこそ、もう一方でわれわれは情報を自らの意志で選択することもできます。自分にとって何が大事か、それによって入ってくる情報も目に映る情報も違ってくるはずです。情報は常に過去のもので、われわれが生きるのは未来です。
またここ数年、この旅ではブレーメンに二泊していますが、はじめて旧市街を少し歩くことができました。そしてあの市庁舎の前のブレーメンを目にすることができました。小さな像ですが、多くの観光客が手で触るのでしょう。
面白いもので、それによって磨かれて、どこかいぶし銀のような重厚感を放っています。またムリをすることなく、心が動けば負える力のある人が他が負い、負われながら、支え合っていく、私の人生もそうありたいものだと思います。
長々となりましたが、まずは旅の無事故を支えてくれた方々に御礼と感謝を伝えたいと思います。