高見の見物 | ジェイのブログ

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時の流れが速いと感じる人が多いのか。誰もがせかせかとゆとりないようにみえる。かくいう私も、気がつくとせかせかしているようだ。

日頃はそのことにも気づかないのだが、何か世で事件が起こると、当人はもとより誰もが早く答えを出そうとしているように感じられる。あの文春砲が放たれるときには覿面で、初期対応が早い。

もちろん内容によっては早い方がよいこともあるが、しばらくほっとくことも大事である。火事場は初期消火だが、火が燃え上がっていれば、対処を急げばかえって火や煙に巻き込まれる二次災害の危険もある。

 

ある程度火が衰えてからの消火が有効ということもあろう。焦る心を抑えて、しばらくは成りゆきに任せてみる。長い目でみる。広い目でみる。時間をかければ思わぬ変化もあれば、広い目でみれば、事実も違ってみえてくる。

「急がば回れ」というじゃないか。「九思一言」というじゃないか。「待てば海路の日和あり」というじゃないか。今は黙って、静かに事のなりゆきをみているのもいい。心が急くときはいつも、そう自分に言い聞かせる。

 

若いときに、会社で足をすくわれ、心がいきり立っていたら、もう故人となった外部の先輩が「そんなときもあるよ。カッパの川流れだよ」と諭してくれた。泳ぎは上手いが、あえて流れに身を任せて時を待てということである。

確かに流れは一様ではない、速いときもあればゆっくりと流れるときもある。また真っ直ぐばかりではなく、右に左に蛇行してやがて海に出る。海に出て大海原を自由に泳いでいると、ふっと「あのとき、流されて今があるなぁ~」と思ったりする。

まったくの想像だが、「文春砲のお陰で今がある」と思う人もいるんじゃないか。もちろん人の失敗や不幸で飯を食う罪は罪で、その人生のどこかで返ってくるものとは思うが、そんな悪意に心縛られ、自らの人生が窮屈になる方が真の不幸である。

悪意でも、それを善意にとって自らの生の糧にする自由は、誰にもあるんじゃないだろうか。それを奪われる方が真の不幸である。やっぱり人生の幸不幸は自分で決めるもので、他人の悪意に委ねてはならないね。