語ることを躊躇してしまいますが、
今や時効ということで語らせていただきます。![]()
私が幼少期50年前、父親も母親もバイクを所有していました。
当然、祖父もバイク歴がありますが、
今ではどんな車種を乗っていたのかということは分かりません。
おそらく、当時の最高排気量である250cc ということを考えると
初期の陸王あたりでは無かったかと推測されます。
祖父に聞いても、バイクには特段こだわりはなかったらしく、
陸王のような形のものだったのではと教えてくれました。
そして、最も私の記憶にあるのは、母親はタクトを乗っていたという事実です。
現在のNECに勤務する時に使っていたと聞きました。
結婚して、仕事を辞めて家に入ってからは乗っていないということでした。
私は、小学生時代に、エンジンに興味を持ち始め
スーパーカブのエンジンをバラしたり、
父親が買ったエンジンヘリコプターをバラしたりしていた小学生だったということです。
バラシたら、やはり組み立てるという事をしたい訳ですが、![]()
同じじゃ面白くありませんから、5cm角の木材を加工してバイクのフレームを作成しては
そこにエンジンを載せて、自分スタイルのバイクを作ったりしたことは
本当に懐かしい50年前の記憶になります。
ていうか、小学生だったにも関わらず、木材を加工してバイクのフレームを作っていた自分が
ある意味でスゲーと今さら思ってしまいます。
流石に、始めての木製フレームの自作バイクは成功せずに、失敗に終わりました。
次に目を付けたのは、母親が乗っていた、タクト50ccのスクーターでした。
エンジンをかけると、エもいわれぬ快感を感じることができました。![]()
その後は当然の如く、バイクに乗り、そして農家ならではの広大な敷地を走らせてしまいます。
乗っていることがバレて、ひどく叱られないように、隠れて乗り回していました。
それは小学生時代です。
そういう経験があってか、高校生では早速16歳になっですぐに免許取得の為に
免許センターに通って原付免許を誰よりも早く取得します。
3無い運動という、乗せない乗らせない免許を取らせないというスローガンがある中で
それを無視して高校の授業をサボって免許取得に行っていました。
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どれだけヤンキーかって話です。
その後は、MBX50という50ccのバイクを購入して高校まで通います。
なぜMBX50だったかと云うと、
原付なのに90Km/hも出てしまうというコンセプトだったからです。
原付は通常30km/hが最高速度となっていますが、
完全にそれを無視して設計されている所に惹かれてしまいました。
そして、部活界隈では、私がバイクを乗っていることを皆が知り始めます。
夜な夜な蔵王の山頂に至るまでのグネグネ道をリーン・インというポーズを取りながら
ヘアピンカーブを曲がる練習をしてカッコつけて乗るスタイルにはまっていました。
往復で2時間の練習時間。
2ストエンジンですので、パーーッンというけたたましい音の回転数を下げずに
速度を維持しながら乗り続けるためには、どうしたらよいか![]()
と常に思考を先手先手に考えてドライビング訓練していました。
当時は、紫のジャケットを来て、金縁のメガネをかけて運転することが、
かっこいいと錯覚していました。
今思えば、めちゃくちゃダサいスタイルだったように思います。
なぜそういう慣性に至ったのかは分かりませんが
単純に目立ちたかった・・・からだったのかも知れません。
その後、18歳になってからはMBX50Fという後継機に乗り換えました。
これは、個人売買で買ったもので
マフラーの触媒が外されており、爆音ですが、自走は出来ました。
国道1号線を横浜から譲り受け、小田原市に自走していた所、
警察署前で停車を求められ、騒音検査を受け反則金を支払う羽目になりました。
本日、個人売買でバイクを購入して自宅に帰る所ですという事情を警察官に話した所
おそらくまた次の警察署で騒音検査を受けると思うので
この警察署で反則金を払った旨と、バイク屋にマフラーの触媒を注文して
入れることを確約しているという旨を報告して下さい。
そうすることで、検査を省略して反則金を2度支払うことなく
バイク屋まで辿り着けるでしょう。
と云われ、2度警察署で止められた記憶は今も懐かしく思います。
購入したMBX50Fは暴走族が使用していたものだと気が付きました。
その後、このバイクでバイト先まで通勤し、
夜勤バイト明けの交通事故が起きるまで乗り続けました。
交通事故後は、腰椎骨折の後遺症により
腰痛のためバイクを躊躇われ、結果、乗ることが出来ず25年が経ちます。
それでも今度は自動車バカとなり、アメ車を購入して以来、様々な車を乗り継ぎます。
ようやく50歳になり、事故後の腰痛も改善し、その後の腰椎ヘルニアも完治して
バイクを乗ってみようか?と思い始めてきました。
そして購入したのが、カワサキ NINJA1000 2017年式モデル
サイドパニア付き
このマシンで北海道ツーリングしましたが、本当に楽しいバイクでした。
一つだけ気になることがあって、乗り換えを決意しました。
それは、ギア抜けです。
2速から3速にしようとした時にギアが入らず、4速になったり、
5速から4速に入らずに3速になったりと、純正のオイルを使用しているにも関わらず
なぜだかギア抜けの症状が1年以上も続き、堪忍袋の緒が切れて、乗り換えを決断しました。
次に乗ったのが、BMW R1200GS 2016年式トリプルブラックモデルです。
凄く良かったです。
トリプルブラックというだけあって、黒色ではありますが、色の濃さの違うブラックで
本当に見た目もかっこいいし、陸の王者と云われるだけあって
乗り心地も空飛ぶジュータンのようなロングツーリングモデルそのものでした。
手放したのは、職業上の不信で維持するお金が無くなり
車検費用を支払えないかも知れないということで、ビビって車検前に売ってしまいました。
このバイクでは、北海道の他、山陰・山陽地域をツーリングした思い出が懐かしいです。
フェリーで敦賀まで行き、そこから京都府、徳島県、島根県、広島県、
岡山県、香川県、兵庫県、大阪府などを周遊しました。
本当に良い思い出を作ったバイクでした。
金欠病が発病して手放してから数年後、スクーターに乗り始めました。
ホンダフォルツア250ccです。
このバイクは、パチンコに通うのに最適であり、
また千歳山の駐車場が満車でもバイクならどこでも駐車できるので
毎週の千歳山登山に重宝しました。
しかも、大型車のように気構えなく乗ることが出来たので
Tシャツ短パンという出で立ちで、夏・秋を過ごし
着衣の隙間から入る風が心地よく
日中は元より、夕方や夜間の涼しい風を受け、
乗車中は詩人になれるほど感性が研ぎ澄まされ、
「気持ちいい」「これぞ人生」「諸行無常」という感じで
良い時間を過ごさせていただけました。
その後、やはり水平対向エンジンの懐かしさと懐具合が良くなったせいもあり
R1200GSを求め探していた所、
2014年式が格安で売られていることを見つけて乗り換えることを決意して
今に至ります。
このバイクでは、千葉県、茨城県、福島県、宮城県、新潟県、長野県、
北海道一周、富山県、山形県、秋田県、青森県などを走りました。
この2014年式モデルは、水冷式の初期モデルとして発売されたもので
フライホイールの設計が軽く出来ており、
2016年式モデルのフライホイールの重いウォーンという音に対して
ウォンウォンという軽やかなエンジン音とアクセルレスポンスが特徴なモデルです。
ある意味で、レーシーとも捉えられるかも知れません。
2016年式はロングツーリングで疲れない仕様で、燃費もよく
穏やかな次男的性格でしたが
2014年式モデルでは、アクセルレスポンスがよく、トライアルなどオフロード走行が得意で
アクセルオン・オフが早く、操作を雑に行うと、ドライブシャフトの関係性もあり
ギクシャクが発生しやすくなります。
丁寧にアクセルを開けたり閉じたりする必要があります。
そういう意味では、扱いづらい長男的性格とも云えるかもしれません。
ただ、そこだけ気にすれば、明らかに2016年式モデルよりも楽しいマシンでもあり
バイクというものは、最新式イコール最高とはならないということを学習しました。
私は、空冷式キャブレーター方式の2ストバイクから乗っています。
今になって思うのは、やはり2ストバイクは面白かったということです。
現在乗っているR1200GSの他に、円高でバイクが安くなったら
また125ccクラスの2ストバイクを買ってみようかと考えています。
アラカンバイク親父ならば、きっと分かってもらえる事かと思います。
そんな事で、私のバイク遍歴を述べさせていただきました。
本日も最後まで御覧いただきましてありがとうございました。
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